新善光寺城(越前市)概要: 新善光寺城は南北朝時代の動乱期に当時の越前守護職の斯波高経によって築城されたと伝えられています。新善光寺城は新善光寺という寺院跡に建てられたもので正徳元年(1711)に描かれた府中図には東西90間、南北76間の土塁と堀が記させていることから同規模の城だったと思われます。斯波氏は足利氏の有力一門で、斯波高経は斯波氏(尾張足利氏)の4代目当主として足利尊氏に従い鎌倉幕府の倒幕運動に参加し、建武の新政時は越前守護職に補任されました。南北に朝廷が分かれると、尊氏に従い北朝方に属し北陸方面の主力として各地を転戦、そのような中で新善光寺城は築城されました。
しかし、新善光寺城は延元元年(1336)南朝方で杣山城の城主瓜生保に攻められ落城、その後奪取するものの延元3年(1338)に金ヶ崎城(敦賀市)から逃れてきた新田義貞が杣山城に入り斯波高経と激しく対立、日野川での戦闘で高経が大敗し新善光寺城は再び落城します。
その後、義貞が新田塚で討死するなど南朝側の勢力が衰えると美濃に引き上げた為、新善光寺城の戦略的重要性が失われ廃城となっています。貞治5年(1366)に新善光寺城跡地に正覚寺が創建されました。現在でも正覚寺の境内には土塁の一部が残されており案内板が建てられています。
新善光寺城:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 日本の城下町6北陸-出版元:ぎょうせい
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