心月寺

  福井県:歴史・観光・見所(ホーム)福井市:歴史・観光・見所>心月寺(読み方:しんげつじ)

概要・歴史・観光・見所

心月寺(福井市)概要: 大円山心月寺の創建は文明年間(1469〜1486年)、朝倉孝景(朝倉家7代)が祖父教景(朝倉家5代)の菩提を弔う為、桃庵禅洞(慈眼寺の僧)を招いて開山したのが始まりとされ、教景の法名「心月宗覚」に因み心月寺と称されました。

心月寺は歴代朝倉氏の菩提寺として庇護され領内の中心的な寺院として寺運が隆盛し、最盛期には300人余の僧が在寺した大寺として発展しました。天正元年(1573)、織田信長の越前侵攻により一乗谷が焦土化し朝倉氏が没落すると、丹生郡(現在の鯖江市入村)に移りますが庇護者を失った事で衰退します。

慶長4年(1599)一乗谷の朝倉義景館跡に再興し、さらに慶長6年(1601)結城秀康が越前に入封し北ノ庄城の城主になると新たに城下町が整備され、慶長8年(1603)に北の庄(後の福井)に移されました。

秀康は心月寺を庇護し寺領内の禁制や諸役を免じ歴代福井藩(藩庁:福井城)の藩主からも寺領15石が安堵され多くの寺宝、記録など所持し、旧境内地である朝倉義景館跡も末寺である松雲院(朝倉家最後の当主朝倉義景の戒名「松雲院殿太球宗光大居士」に因んだ寺号を付けられ、境内には義景の墓碑が建立されています。)が管理しました。

明治33年(1900)の大火と昭和20年(1945)の太平洋戦争の福井空襲により殆どの堂宇、寺宝、記録などが焼失しています。

現在の残されている絹本著色朝倉敏景像は室町時代に製作されたもので縦83.0cm、横41.0cm、絹本著色朝倉義景像は同じく室町時代に製作されたもので縦70.5cm、横38.4cm、当事の大名画像の遺構として大変貴重なことから昭和45年(1970)に国指定重要文化財に指定されています。

心月寺本堂は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼。

心月寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社


心月寺:ストリートビュー

心月寺本堂:写真

心月寺本堂を右斜め正面から撮影した画像
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