朝倉景鏡館跡(一乗谷朝倉氏遺跡)概要: 朝倉景鏡は朝倉貞景の次男景高の子息で義景の従兄弟に当る人物で、大野郡司を務めるなど一族の中でも筆頭的な地位だったと思われます。景鏡は朝倉義景が刀禰坂の戦いで敗れると大野郡に引き入れ六坊賢松寺に宿営している所を自軍の軍勢で境内を取り囲み義景を自害へと追い込み、義景の首と妻子らを織田信長に際出、降伏が認められ自領が安堵されました。その後、越前に侵攻した一向一揆衆と対立し、平泉寺白山神社での戦いで討ち死にしています。
屋敷は一乗谷に築かれ、約5000uの敷地には外堀と土塁が設けられ、屋敷内には多くの礎石や地鎮具、茶碗、一節切などが出土しています。現在は一乗谷川の氾濫で敷地の1部が削られ、中央部分は道路が開削されましたが、1部の土塁や堀が再現され建物の跡などが分かりやすく表示されています。
朝倉景鏡館跡:上空画像
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