南陽寺跡庭園(一乗谷朝倉氏遺跡)概要: 南陽寺の創建年は不詳ですが朝倉氏景の正室天心清祐が開いたのが始まりと伝えられています。代々朝倉氏縁の子女が入る尼寺として庇護され、朝倉貞景の次女大成明玉が南陽寺に入ると貞景は仏殿と方丈を再興しています。
永禄11年(1568)、朝倉義景は足利義昭(後の室町幕府16代将軍)を招いて花見の歌会を催し義昭は「もろともに月も忘るな糸桜 年の緒長き契と思はゞ」、義景は「君が代の時にあひあふ糸桜 いともかしこきけふのことの葉」の句を残しています。
境内には多くの建物が建立され豪華で格式のある寺院でしたが天正元年(1573)に朝倉氏が滅亡すると廃寺になったようです。現在は庭園の1部の石組みが残るだけですが一乗谷に残る庭園文化の一端を成す貴重なもので朝倉氏滅亡以来、ほとんど手が加えられていないことから国指定特別名勝に指定されています。
南陽寺跡庭園:上空画像
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