西山光照寺跡(一乗谷朝倉氏遺跡)概要: 西山光照寺の創建は大同年間(806〜810年)、最澄大師が開いた寺院を、文明3年(1471)越前統一の祖を築いた朝倉孝景が叔父である朝倉将景(光照郎用)の菩提を弔う為、真盛上人の高弟盛舜上人を招いて再興したのが始まりと伝えられています。
朝倉氏に庇護され寺運は隆盛し一乗谷の真盛派の代表的寺院となりましたが、天正元年(1573)、朝倉氏が織田信長により滅亡させられると一乗谷も壊滅、西山光照寺も焼失したと思われます。
当時は弘法大師空海が一乗谷を訪れた際、石造大仏を造営し自ら彫刻した聖観音像を胎内に納めたものが偉容を誇っていたとされますが、戦禍により胎内仏は持ち出されたものの石造大仏は粉塵に帰したそうです。
慶長11年(1606)、福井藩初代藩主結城秀康により福井城下に移され再興し現在に至っています。西山光照寺跡には大型の石仏が40体、石塔、石仏が340体以上、境内には大規模な堂宇の礎石や地下倉庫、石組、石積施設、墓地などが発掘され当時の繁栄を物語っています。
西山光照寺跡:上空画像
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