鯖江藩

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鯖江藩概要
鯖江藩概要: 享保5年(1720)、間部詮言が村上藩(新潟県村上市)から5万石で移され鯖江藩を立藩しました。当時の鯖江は中心的な集落がなかった為、旧代官所を陣屋として改修し北陸道の引き込みや間部家縁寺院を配置するなど城下町の整備が行われました。小藩で福井藩小浜藩とに挟まれる僻地だった事もあり藩の財政は当初から逼迫し、2代藩主間部詮方の代には利根川の河川工事や宝暦5年(1755)鯖江の大火のため城下町の大半が焼失、3代間部詮央の代には江戸上屋敷の類焼や仲姫の婚礼、4代間部詮茂(詮堅)の代には飢饉が頻発し、7代藩主間部詮勝は老中など幕府の要職を歴任した為、費用が重なり、さらに師事した(後年は意見の食い違いから老中を罷免された。)井伊直弼が桜田門外の変で水戸藩浪士から惨殺されると文久2年(1862)、隠居謹慎が命じられ4万石に減封されました。幕末の慶応3年(1868)に発生した江戸薩摩藩邸の焼討事件では旧幕府の命を受け、庄内藩(山形県鶴岡市:500人)、上山藩(山形県上山市:300人)、岩槻藩(埼玉県さいたま市岩槻区:50人)、出羽松山藩(山形県酒田市)と共に鯖江藩士100名が薩摩藩邸を襲撃しています。しかし、その後は新政府軍に恭順し弾薬を供給しています。明治2年(1869)の版籍奉還を受け、9代藩主間部詮道は藩知事となり、明治4年(1871)に廃藩置県が発令されると廃藩となっています。
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鯖江藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代間部詮言1720〜1724年5万石 
2代間部詮方1724〜1761年5万石 
3代間部詮央1761〜1771年5万石 
4代間部詮茂1771〜1786年5万石 
5代間部詮熙1786〜1812年5万石 
6代間部詮允1812〜1814年5万石 
7代間部詮勝1814〜1862年5万石 
8代間部詮実1862〜1864年4万石 
9代間部詮道1864〜1871年4万石 

鯖江藩:参勤交代−鯖江の陣屋町は北国街道の宿場町でもあった為、歴代藩主は北国街道を参勤交代の経路としていました。今庄宿で昼食を採った後は、板取宿を経て、中河内宿(滋賀県長浜市余呉町中河内)で宿泊、木之本宿(滋賀県長浜市木之本町)から北国街道脇往還に入り、春照宿(滋賀県長浜市伊吹町)で宿泊、関ヶ原宿(岐阜県関ヶ原町)から中山道、垂井宿(岐阜県垂井町)から美濃路に入り、起宿(愛知県尾西市起)で宿泊、宮宿(愛知県名古屋市)から東海道に入り、鳴海宿(愛知県名古屋市緑区)・御油宿(愛知県豊川市御油町)・浜松宿(静岡県浜松市)・島田宿(静岡県島田市)・江尻宿(静岡県静岡市清水区)・沼津宿(静岡県沼津市)・小田原宿(神奈川県小田原市)・藤沢宿(神奈川県藤沢市)・川崎宿(神奈川県川崎市)で宿泊し江戸に至りました。

鯖江藩
鯖江藩:町並み 鯖江藩:町並み 鯖江藩:町並み 鯖江藩:町並み 鯖江藩:町並み
鯖江藩城下町:名所・旧跡
藩庁
鯖江藩陣屋
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藩主祭神
松阜神社:鯖江市
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藩主崇敬社
舟津神社
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藩主菩提寺
萬慶寺:鯖江市
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武家屋敷
植田家長屋門
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