妙泰寺(南越前町)概要: 大谷山妙泰寺は福井県南条郡南越前町西大道に境内を構えている日蓮宗の寺院です。妙泰寺の創建は鎌倉時代後期の永仁2年(1294)、日蓮大聖人の法孫日像菩薩が開山したのが始まりと伝えられています。日像は京都へ上洛する途中にこの地に差し掛かると、日蓮に始めて出会った身延山(身延山久遠寺:山梨県身延町)の風景に酷似しているところから霊地と悟り開山を思い立ったと言われています。
妙泰寺は日蓮宗の寺院の中で越前最古歴史を持ち、日像が開いた四聖跡の第2霊場、北陸の身延とも称され北陸地方屈指の根本道場として寺運が隆盛します。江戸時代に入ると初代福井藩(藩庁:福井城)の藩主となった結城秀康が祈願所として妙泰寺を庇護し、寛文2年(1662)には越前松岡藩の初代藩主松平昌勝も深く帰依したことで寺領18石と位牌を寄進し、仁王門の額面には福井藩14代藩主松平斉承の書が掲げています。
妙泰寺総門は切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門形式。仁王門(山門)は、入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚二重楼門。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部には本尊となる十界曼荼羅が祭られています。祖師堂は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、向拝木鼻には精悍な龍の彫刻が施されています。
毎年9月に行われる「七福神祭り」は天明年間(1781〜1789年)から続けられているもので七福神に仮装した住民が収穫などを感謝しながら獅子舞や太鼓打ちを引き連れ町内を練り歩くもので全国でも珍しい奇祭とされます。妙泰寺は寺宝が多く、江戸時代初期の寛永12年(1635)に彫刻された木造釈迦如来坐像(1躯)と安土桃山時代に描かれた釈迦涅槃図(1幅)が昭和52年(1977)に南越前町指定文化財に指定されています。山号:大谷山。宗派:日蓮宗。本尊:十界曼荼羅。
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