小浜神社概要: 小浜神社は福井県小浜市城内一丁目に鎮座している神社です。小浜神社の創建は明治8年(1875)、小浜藩の旧藩士が中心となり酒井小浜藩初代藩主酒井忠勝の御霊を小浜城の本丸跡に勧請したのが始まりとされます(その後、天御中主大神が合祀)。小浜城は明治4年(1871)の火災により焼失し、焼失を免れた天守閣も同年に払い下げとなっていました。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、外壁は柱のみの吹き放ち。本殿は三間社流造、銅板葺き。
祭神である酒井忠勝は主に3代将軍徳川家光と4代徳川家綱に仕えた譜代大名で、老中や大老を歴任し、譜代大名としては異例の国持大名(1代限定)の格式を得て小浜藩12万石の祖となった人物です。
社格:県社。例祭:例大祭(5月2日)、奉祝祭(5月3日)、新年祭(3月15日)、新嘗祭(11月23日)、境内社:稲荷神社(八助稲荷大明神)。祭神:酒井讃岐守忠勝公・天御中主大神。
八助稲荷: 酒井忠勝の近臣に八助という人物が居て、忠勝が江戸に火急の書状を送る際は必ず八助を遣いに出していました。八助は小浜から江戸まで通常の飛脚が15日程度なのにも関わらず1人で6日という速さで移動しました。
ある時、八助を使いに出したものの中々届かなかったので調べさせると、小田原の城下で、酒井家の家紋がある書状を加えたまま横たわる白い狐が見つかりました。
正体を知っていた忠勝は人目の無い所で泣き崩れ、今までの感謝の意から小浜城の城内に稲荷神社を創建し城の鎮守社とすると、何時しか八助稲荷と呼ばれるようになったと伝えられています。
小浜神社:上空画像
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