越前大野城概要: 越前大野城は天正3年(1575)、一向一揆を平定した織田信長家臣金森長近が大野郡3万石の領主となり翌年から築城が開始されています。越前大野城の築城には4年の歳月がかかり天正8年(1580)に完成、当時は大天守(2重3階)を中心に小天守(2重2階)、付櫓(天狗櫓)を従えた複合連結式の天守が備えられました。
城下町の建設も同時に進められ大野城直下には武家屋敷を配し、町人町は整然とした町割りを行い、さらにその外側に寺町を設け、小京都と呼ばれる町づくりの祖が形作られました。天正14年(1586)に長近は飛騨高山(岐阜県高山市)に移封になると長谷川秀一、青木一矩、織田秀雄と短期間で城主が変わり、江戸時代初期は福井藩の直轄地となります。
元和9年(1623)、福井藩主松平忠直が改易になると本藩である福井藩には松平忠昌、当地には寛永元年(1624)に松平直政(結城秀康の3男)が5万石で入封し大野藩を立藩しています。
寛永12年(1636)に直政が松本藩(長野県松本市)に移封になると松平直基(結城秀康の5男)が勝山藩から5万石で入封、さらに直基が山形藩(山形県山形市)に移ると、再び勝山藩から松平直良が入封します。
2代直明が天和2年(1682)に播磨明石藩へ移封となると変わって土井利房が4万石で入封、土井氏が藩主になると藩政が安定し土井氏8代が藩主を歴任し明治維新を迎えます。越前大野城は度々火事で被害を受けましたが安永4年(1775)の大火では天守閣を含む多くの建物が焼失し、寛政7年(1795)に天守を除いて再建されています。
越前大野城は明治維新後に廃城となり多くの建物が払い下げや破却となりましたが、石垣や郭の形状、土塁、一部の堀などの遺構が残り、不明門が真乗寺山門、鳩門が光明寺山門として移築されています。
又、麓には7代藩主土井利忠の御霊が祭られている柳廼社が鎮座しています。越前大野城跡は歴史的にも貴重な事から昭和32年(1957)に福井県指定史跡に指定され、平成29年(2017)に続日本100名城(138番)に選定されています。
越前大野城:上空画像
|