八幡神社(敦賀市)概要: 八幡神社は福井県敦賀市三島町に鎮座している神社です。八幡神社の創建は応神天皇が気比神宮に参拝に訪れた際、当地を行宮とした事から住民が盛土を築き聖地としました(後に築地八幡宮と呼ばれた由来)。
大宝4年(704)に勅命により石田大神(五十日足彦命)が勧請され、さらに宝亀11年(780)、藤原永手は勅願により八幡神の分霊である誉田別尊が勧請され社殿を建立、石田大神(五十日足彦命)は相殿として祭られるようになりました。以上の事から延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社石田神社は当社という説があります。
中世に入ると越前守護職の朝倉氏(本拠:一乗谷)から庇護され、弘治2年(1556)には朝倉義景が社殿を造営し、兵法家である疋田景継は阿弥陀如来を奉納し毎年120石の米を寄進したそうです。
天正元年(1573)、織田信長が越前侵攻の為に当地を訪れ八幡神社に参拝し太刀を奉納、敦賀城の城主大谷吉継は本殿の龍の彫刻、大鳥居、石灯籠を寄進、小浜藩(藩庁:小浜城)の藩主酒井忠勝が神輿を寄進しています。
明治時代の神仏分離令を経て明治8年(1875)に郷社、昭和12年(1937)に県社に列し明治41年(1908)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
八幡神社の社宝は多く日本刀外装(伝織田信長寄進、全長105cm、真鍮板、揚羽蝶模様の彫刻)が福井県指定文化財に剣(藤原宗吉作)、大江山酒呑童子絵馬 、北前船図絵馬が敦賀市指定文化財に楓が敦賀市指定天然記念物にそれぞれ指定されています。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行3間、外壁は柱のみの吹き放し(欄間部は真壁造り白漆喰仕上げ)。本殿は一間社流造、銅板葺き。祭神:誉田別命。配祀:五十日足彦命。
八幡神社:上空画像
|