常高寺(初:菩提寺)

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【 菩提者 】 開基者である常高院は浅井三姉妹(浅井長政と織田信長の妹である市との間に生まれた長女「茶々」、次女「初」、三女「江」)の次女「初」として生まれました。天正元年(1573)、父親である浅井長政は叔父である織田信長から離反した事から居城である小谷城(滋賀県長浜市)が攻められ落城、長政は自刃しましたが母親である「市」と「初」を含む三姉妹は織田家の家臣から救出されました。その後は織田家によって庇護されていましたが、天正10年(1573)に本能寺の変で信長が倒れると清洲会議によって「市」と織田家筆頭家老柴田勝家との婚姻が決まり勝家の居城である北の庄城(福井県福井市)に移り住みました。しかし、天正11年(1574)、柴田勝家と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の対立から賤ヶ岳の戦いが起こり勝家は敗北、北の庄城も落城し「市」は勝家と共に自刃し、三姉妹は秀吉、又は織田信雄の庇護になります。天正15年(1587)に秀吉の斡旋により京極高次と結婚。京極高次の生母は浅井久政の次女であるマリアで長政の姉にあたる人物だった事から「初」から見ると高次は従兄弟にあたります。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、京極高次は豊臣家を見限り徳川方に転じた為、居城である大津城(滋賀県大津市)に立て籠もり、西軍の主力の1つ立花宗茂と交戦、結果的に開城し剃髪した後に高野山に入りました。しかし、立花宗茂の遅れが関ヶ原の戦いで東軍勝利に大きく貢献した事となり小浜藩(福井県小浜市)8万5千石が与えられ若狭一国の国持大名に出世しました。慶長13年(1608)に豊臣秀頼の庶子、豊臣国松が生まれると「初」が預かったとされ慶長19年(1614)の大坂冬の陣の際には国松を連れ立って大坂城に入城したとされます(伝承によると国松を長持に入れて密かに城内に入城させたと伝えられています)。大坂の陣は姉である「淀」が豊臣秀頼の生母、妹である「江」が徳川秀忠の正室として対立関係にあり、常高院(初)が大坂方の使者として奔走しましたが、開戦に及び、戦局が膠着状態になると徳川側の阿茶局と図り両家の和睦を果たしています。しかし、慶長20年(1615)の大坂夏の陣では豊臣家と共に姉「淀」を失っています。寛永10年(1633)に死去。享年64歳。法名「常高院殿松嚴永昌大姉」。

常高寺(小浜市)は寛永7年(1630)に京極高次の菩提寺として常高院(初)が槐堂周虎禅師を招いて創建した寺院です。常高院(初)が江戸藩邸で死去すると、遺骸が当地まで運ばれ常高寺で葬儀が行われ、墓碑が建立されました。遺言により京極家が松江藩(島根県松江市)に移封後も常高寺は小浜の地に留まりました。又、常高寺境内周辺は小浜城の城下町時代の町並みが色濃く残す地域(小浜西組)で名称「小浜西組重要伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【 寺  号 】 常高寺
【 所在地 】 福井県小浜市小浜浅間(小浜西組)
【 創建年 】 寛永7年(1630)
【 開  山 】 槐堂周虎禅師
【 開  基 】 常高院(初)
【 山  号 】 凌霄山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 観世音菩薩
【 備  考 】 絹本著色京極高次夫人像(福井県指定文化財)、紙本墨書常高院自筆消息(小浜市指定文化財)、常高院墓所(小浜市指定史跡)
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