空印寺(小浜西組・酒井家:菩提寺)

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【 菩提者 】 酒井忠勝は徳川家譜代の家臣で、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に従い中山道を西上し真田昌幸、幸村父子の守る上田城の攻防戦にも参加しています。その後は3代将軍徳川家光の側近として大名に取り立てられ、寛永元年(1624)には本丸年寄(老中)に就任し、寛永4年(1627)には父親である忠利の跡を継ぎ川越藩主8万石となっています。その後も加増が続き寛永11年(1634)に小浜藩11万3千5百石で移封となり国持大名の格式を得て(忠勝一代限り)、さらに寛永13年(1636)に1万石が加増され西国の譜代大名としては彦根藩(滋賀県彦根市)井伊家に次ぐ大身となりました。忠勝は基本的に幕政の重責を担っていた為、殆ど小浜領には滞在していませんでしたが、本城となる小浜城(福井県小浜市)の整備や城下町の町割、町奉行や代官の設置、領内の指針となる「郷中法度」を制定し小浜藩の基礎を固めました。跡を継いだ酒井忠直は甥の忠国に1万石を分与して安房勝山藩(千葉県安房郡鋸南町勝山)を立藩させ、藩政では父親の偉業を引き継ぎ新田開発や治水工事などを積極的に行い藩政も確立しています。跡を継いだ酒井忠隆は弟である忠稠に1万石を分与して敦賀藩(福井県敦賀市)を立藩させ、忠根には3千石を分与して旗本家を創設させています。5代藩主酒井忠音は8代将軍徳川吉宗に重用され奏者番、寺社奉行、大坂城代、老中などの要職を歴任し享保の改革にも大きく尽力しています。7代藩主酒井忠用は奏者番兼寺社奉行、大坂城代、京都所司代を歴任、10代藩主酒井忠進は寺社奉行、京都所司代、老中を歴任し、日光東照宮の五重塔を再建しています。12代、14代藩主酒井忠義は京都所司代を担う一方で井伊直弼に重用され安政の大獄や公武合体(和宮降嫁)、水戸天狗党の鎮圧などに大きく関与し戊辰戦争の際は当初は幕府軍として交戦し、敗北後は新政府軍の先鋒として東北各地を転戦しています。

空印寺(福井県小浜市)は元々京極家の位牌所として創建された寺院で、当初は泰雲寺と呼ばれていましたが、寛永11年(1634)に酒井忠勝が小浜藩に入封すると酒井家の菩提寺に定められ、寛文8年(1688)の忠勝の7回忌に忠勝の法名「空印寺殿傑伝長英大居士」に因み、寺号を「空印寺」に改称しています。又、空印寺境内周辺は小浜城の城下町時代の町並みが色濃く残す地域(小浜西組)で名称「小浜西組重要伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【 寺  号 】 空印寺
【 所在地 】 福井県小浜市小浜男山(小浜西組)
【 創建年 】 慶長14年(1609)
【 開  山 】
【 開  基 】 京極忠高
【 山  号 】 建康山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 酒井家墓所−小浜市指定文化財
空印寺境内周辺は小浜西組重要伝統的建造物群保存地区
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