鯖街道(熊川宿・遠敷・朽木宿)

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概要・歴史・観光・見所
鯖街道(若狭街道)概要: 若狭街道(鯖街道)は京都の日本海側の外港と見なされた敦賀港や小浜港を繋ぐ街道で古くから開削されてきました。古代から近世にかけては日本海が外交や経済流通の中心だった事からも重要視されました。又、若狭国は「御食国」とされ、現在の税金にあたる納税を塩漬けにした魚介類や浜辺で生産された塩などで収めていた事から、食という面でも京都や奈良と深い繋がりがありました。江戸時代には日本海で採れた海産物が新鮮な内に京都に届けられる事から「京は遠ても十八里」と詠われ、多くの物販業者が行き来し、特に特産物である「鯖」を取り扱う人が多かった事から「鯖街道」の異名があります。当時、小浜湾で水揚げされた鯖を塩漬けにすると、京都に到着する頃には丁度良い塩加減となり京都の食卓に上がった事から爆発的に人気があったそうです。経路は小浜城下(小浜西組)→遠敷→熊川宿→朽木宿→大原→京都出町が一般的ですが、遠敷→針畑越え→鞍馬→京都出町が最短距離で、その他にも堀越峠経由で京都高尾に到る経路や、美浜から栗柄越え、滋賀県マキノ町、琵琶湖舟運、大津に到る経路など複数存在し、目的に応じて選択されたと思われます。又、小浜西組は敦賀と京都丹波地方を結ぶ丹後街道の宿場町でもあった事から多くの往来がありました。鯖街道(若狭街道)の街道沿いには小浜西組や熊川宿など国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている古い町並みが残されている一方で、京都から多くの質の高い文化が入り込んだ事から仏像や書画など豊富な文化財を所有する社寺仏閣が数多く点在し多数の文化財を所有しています。

遠敷・概要: 遠敷は正式な宿場町ではありませんが、遠敷鯖街道(若狭街道)と丹後街道沿いの集落で、若狭国二之宮である若狭姫神社の門前町、周辺の物資の集積場として発展しました。若狭姫神社は和銅7年(714)に創建し元亀元年(715)に若狭彦神社境内に遷座、養老5年(721)に現在地に再遷座した古社で、古くから信仰の対象となり、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社に列しました。当初は若狭彦神社が信仰の中心でしたが、時代が下がると若狭姫神社に信仰の中心が移り、現在でも境内に荘厳な雰囲気が感じられ、多くの社殿は文化財指定されています。又、遠敷周辺には多くの古墳や若狭国府、国分寺がある事から古くからの若狭国の中心として発展し建武元年(1334)には市場が設けられるなど経済的にも物資の集積場として発展しました。

熊川宿・概要: 熊川宿福井県若狭町)は中世、熊川城の城下町として成立した町で、鯖街道(若狭街道)が開削されると宿場町「熊川宿」として改めて町割りされました。熊川宿は北川舟運の最終遡上の川湊を備えていた為、物資の集積場として多くの商人が集まり、越前国と近江国の国境、藩境に接していた事から重要視され小浜藩熊川番所や奉行所、藩倉なども設置され大きく発展しました。明治時代以降は近代交通網が熊川宿に入り込まなかった為、良質の町屋建築や水路、敷地割りなどが明瞭に残される結果となりました。熊川宿は名称「若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

朽木宿・概要: 朽木宿は鯖街道(若狭街道)の宿場町であると共に、古くから近江源氏佐々木氏の一族である朽木氏の城下町として発展した町で、朽木氏は江戸時代以降も交代寄合旗本として朽木に陣屋を構えこの地を支配しました。朽木氏は戦国時代に織田信長が浅井、朝倉連合軍に敗れ、京都に落ち延びた際に手助けした武将として知られ、もしかしたら信長も朽木宿を利用したのかも知れません。

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