茅葺屋根: 飯盛寺本堂

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飯盛寺本堂

飯盛寺(茅葺屋根建築)
飯盛寺本堂(福井県小浜市)概要: 飯盛寺が何時頃に創建されたのかは明確ではありませんが、江戸時代初期の延宝3年(1675)に小浜藩(藩庁:小浜城)の命により藩内の社寺の由緒を纏めた「若州管内社寺由緒記」によると奈良時代に開山した旨が記載されています。当時は、境内背後に控える飯盛山(標高:584.5m)、若狭富士と呼ばれた青葉山(福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市−東峰:693m・西峰:692m)、行基が開山したと伝わる多田ヶ岳(福井県小浜市多田−標高:712m)は若狭三山と呼ばれ修験道の修験場として発展し、飯盛山の山麓には飯盛寺、青葉山の山麓には中山寺、多田ヶ岳の麓には多田寺などの名刹が境内を構え大きく繁栄しました。当初は黒駒区今徳の地に境内を構え田徳山椿林寺と号する寺院で、旧境内近くには黒駒大日堂があり現在でも飯盛寺が別当として管理しています。大日堂に安置されてる木造大日如来坐像(小浜市指定文化財)は平安時代後半頃に制作されたもので、像高170cm、膝張り120cm、膝奥80cm、檜材、一木造、当地が当時から仏教が盛んだった事が窺えます。室町時代に入り覚能法印が現在地に境内を移し再興し、山号・寺号を「深山飯盛寺」に改め、本尊となる木造薬師如来坐像(小浜市指定文化財)を吉野から勧請しています。木造薬師如来坐像は永徳元年(1381)頃に制作されたもので像高41.0cm、檜材、寄木造、彩色仕上げ、胎内には願文や経巻、写経、摺仏、香木、中国銭が納入されていて、現在は秘仏として本堂の厨子(国指定重要文化財)内部に安置されています。現在の茅葺屋根の本堂(国指定重要文化財)は文明18年(1486)から長享2年(1488)に再建されたもので、その際、如法経料足寄進札(福井県指定文化財)が発布されていました。如法経料足寄進札は土豪、士族、百姓、町人等から再建でかかる費用を浄財として集める為に発布されるもので、現在残されている33枚は内陣や外陣の構造材に打ち付けられていました。又、本堂の床下中心部からは、僧侶の名前を記した経石が約7万個埋められており、一字一石経の寺として信仰の篤さが窺えます。

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