高浜町: 馬居寺

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概要・歴史・観光・見所

馬居寺(高浜町)概要: 本光山馬居寺は福井県大飯郡高浜町馬居寺に境内を構えている真言宗高野山派の寺院です。馬居寺の創建は推古天皇27年(619)、聖徳太子が開基となって開いたのが始まりと伝えられています。

伝承によるとこの地を愛馬に乗馬して訪れた聖徳太子は、馬を下り休息していたところ、馬が遥か彼方の山上に瞬間移動し泣き叫ぶと天から一乗の光が降り注いだ事から霊地と悟り自ら馬頭観世音菩薩像を自刻し御堂を建立し安置したそうです。又、一説には奈良時代の天平13年(741)に白山を開山した事で知られる泰澄大師が当地を訪れ馬頭観音像を自ら彫刻し安置したとも云われています。

その後、馬居寺の信仰が広がり寺領114石を有し、境内には本堂、阿弥陀堂、経堂、仁王門が建ち並び、6坊を有する大寺となりましたが戦国時代の戦火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し、焼失を免れたものも他の寺院に移され衰退しました(本堂と仁王門と仁王像は長源寺。阿弥陀堂と本尊は西福寺に遷されたとされます)。

江戸時代に初期に観音堂が再建されたものの再び衰退し明治時代には無住となり荒廃しました(往時は神仏習合し、境内には鎮守社だった熊野神社が鎮座し、明治時代初頭に発令された神仏分離令後は村社に列しています)。

馬居寺の本尊である木造馬頭観音坐像は24年毎に開帳される秘仏で平安時代末期に制作、像高100.3cm、三面八臂、大変貴重な事から昭和55年(1980)に国指定重要文化財に指定されています。位牌堂に安置されている鎌倉時代に彫刻された妙音弁財天座像は高浜町指定文化財に指定されています。

現在の馬居寺観音堂は延宝5年(1677)又は天明6年(1768)に再建されたもので、木造平屋建て、宝形造り、桟瓦葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、内部には厨子が設置され本尊(木造馬頭観音坐像)が安置されていました(現在、本尊は本堂背後に設けられた宝物庫に収蔵)。

馬居寺境内には無数の石仏、石碑、五輪塔、宝篋印塔、苔むした石段などがあり古寺の雰囲気が良く残されています。若狭三十三観音霊場第30番札所。北陸三十三ヶ所観音霊場第2番礼所。御詠歌:君が馬 居りし昔の名をとめて 御法の声も勇むこの寺。山号:本光山。宗派:真言宗高野山派。本尊:馬頭観音。

馬居寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-高浜町


馬居寺:ストリートビュー

馬居寺:写真

馬居寺境内から見た観音堂正面
[ 付近地図: 福井県高浜町 ]・[ 高浜町:歴史・観光・見所 ]
馬居寺境内正面に設けられた自然石寺号標 馬居寺参道の石段と竹製の手摺 馬居寺の苔生した参道とのぼり旗 馬居寺参道石段から見た観音堂
馬居寺参道沿いにある石仏群 馬居寺の境内に集められた五輪塔群 馬居寺観音堂左斜め前方 馬居寺観音堂背後に設けらた宝物庫
馬居寺境内高台から見下ろした雰囲気ある参道 馬居寺の鎮守社である熊野神社 馬居寺境内に流れ落ちる清流 馬居寺境内にある苔生した五輪塔や石碑、石仏


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