顕海寺(平泉寺白山神社)概要: 天正2年(1574)、織田信長による越前攻めにより越前守護職の朝倉氏(本拠:一乗谷)は大名家から没落した事で越前国内の勢力の均衡が崩れ一向一揆勢が平泉寺の境内を占拠しました。
その際、多くの堂宇、寺宝、記録などが兵火により焼失し平泉寺は大きく衰退します。顕海寺の創建は天正11年(1583)、時の権力者である豊臣秀吉の許しを得て顕海僧正が平泉寺を再興した際、跡地に草庵を結び顕聖院と号したのが始まりと伝えられています。
寛永15年(1638)に堂宇を建立し寺号を顕海寺に改めます。寺宝である銅造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代に製作されたもので、像高520cm、金銅仏、天正2年(1574)一向一揆の際、顕海僧正が池の中に隠していたとの逸話が残っています。銅造地蔵菩薩立像は鎌倉時代に製作されたもので、像高641cm、金銅仏。両仏像とも昭和52年(1977)6月17日に福井県指定文化財に指定されています。
本堂は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、正面1間向拝付。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
顕海寺:上空画像
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