開善寺(勝山市)概要: 開善寺は福井県勝山市沢町1丁目に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。開善寺の創建は建武2年(1335)、小笠原貞宗(信濃国守護職)が清拙正澄(臨済宗の高僧・清拙派の祖・中国福州出身)を招き開山したのが始まりと伝えられています。
当初は小笠原家の元々の本拠地である信州松尾(長野県飯田市)に建立され信濃守護職の菩提寺として庇護され寺運も隆盛していましたが、戦国時代に入ると一族である府中小笠原氏に敗れ、さらに武田信玄の台頭により大きく勢力を衰退させています。天正16年(1588)に当時の当主小笠原信嶺が娘婿として徳川四天王の一人酒井忠次の三男小笠原信之を迎える事で徳川家からの信任を得て大名家に再び取り立てられています。
小笠原信之は本庄(埼玉県本庄市)、古河(茨城県古河市)、跡を継いだ政信は関宿(千葉県野田市関宿町)、貞信は高須(岐阜県海津市)へ移封となり開善寺もその都度随行しています。
さらに、元禄4年(1691)、貞信が高須から勝山藩(藩庁:勝山城)2万2千石で移封になると開善寺も現在地に移ってきています。
開善寺境内には小笠原家廟所が設けられ初代小笠原貞信(戒名:真光院殿鉄梁一玄大居士)・2代信辰(戒名:法専院殿一祐愚入大居士神儀)・3代信成(戒名:承徳院殿前能州刺史仁叟量寛大居士)・4代信胤(戒名:竜台院殿賢厳義哲大居士神儀)・5代信房(戒名:青厳院殿潔山玄皎大居士)・6代長教(戒名:長教院殿前相州刑刺史一恵愚伯大居士)・7代長貴(戒名:瑞竜院殿前州刺史春沢宗仁大居士)・8代長守(戒名:心源院殿大巌義秀大居士)までの歴代勝山藩主とその家族の墓が建立されています。
開善寺の寺宝には小笠原家縁のものが多く、家講、書跡、画幅(遠光・長清父子坐像)などを所蔵しています。勝山藩主小笠原家廟所は昭和50年(1975)に勝山市指定文化財に指定されています。開善寺山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門、上層部は柱のみの吹き放しの事から往時は鐘撞堂を兼ねた鐘楼門だった事が窺えまます。宗派:臨済宗妙心寺派。
開善寺:上空画像
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