勝山小笠原家:概要

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概要・歴史・観光・見所
勝山小笠原家(開善寺)

【 概 要 】−小笠原家は甲斐源氏である加賀美遠光の2男長清が元治元年(1185)に源頼朝の命で信濃守に就任、甲斐国巨摩郡小笠原郷を領した事で地名に因み小笠原氏を称しました。室町時代中期頃までは信濃国内で大きな影響力を保持しましたが、大きく深志系と松尾系の2系統に分かれ、さらに戦国時代に入ると村上氏や武田家の台頭により次第に衰微しました。勝山小笠原家は松尾系の後裔で信貴の代に武田信玄に従い、跡を継いだ信嶺は信玄、武田勝頼に従いましたが天正10年(1582)の織田家の信濃侵攻に伴い織田家に転じ、本能寺の変で信長が自刃すると徳川家に転じました。

天正18年(1590)、徳川家康の関東移封に伴い武蔵児玉郡本庄領1万石で移封となり、跡を継いだ小笠原信之は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍に与して領地を安堵され本庄藩を立藩、慶長17年(1612)古河藩へ2万石で加増移封となります。跡を継いだ政信は元和5年(1619)に関藩に2万2千7百石で移封、跡を継いだ貞信は幼少(10歳)だった為、交通の要衝だった関藩の藩主が務まらないとして寛永17年(1640)に高須藩に2万2千石で移封となています。

さらに元禄4年(1691)に勝山藩(福井県勝山市・藩庁:勝山城)に同石で移封となっています。小笠原家は当初、城主格ではありませんでしたが、宝永5年(1708)に築城の許可を得て勝山城の築城が開始されています。その後も勝山小笠原家が藩主を歴任し明治維新を迎えています。

開善寺(福井県勝山市)は建武2年(1335)に小笠原貞宗が清拙正澄を招いて創建された寺院で、貞宗は開善寺入道とも呼ばれました。その後は松尾系小笠原家の菩提寺として庇護され、小笠原家が移封になる共に領地内に同名の寺院が創建されました。現在でも長野県飯田市に開善寺、埼玉県本庄市にも開善寺が境内を構えています。

開善寺:写真
勝山小笠原家と縁がある開善寺 勝山小笠原家と縁がある開善寺 勝山小笠原家と縁がある開善寺 勝山小笠原家と縁がある開善寺
勝山城:写真
勝山小笠原家と縁がある勝山城 勝山小笠原家と縁がある勝山城 勝山小笠原家と縁がある勝山城 勝山小笠原家と縁がある勝山城



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