越前大野城下・町並み

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越前大野城下
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【越前大野】越前大野は天正3年(1575)、織田信長に従った金森長近が越前大野城を築き、その城下町として整備された町です。江戸時代に入ると一時、福井藩(藩庁:福井城)領として組み込まれますが寛永9(1623)に2代藩主松平忠直が配流になった事を受け、寛永元年(1624)に松平直政が当地に配され越前大野藩を立藩します。当初は比較的早く藩主が交代したものの天明2年(1682)に松平直明が播磨国明石藩(兵庫県明石市、神戸市西区、神戸市垂水区など)に移封になり、土井利房が入封すると、以後、土井家が藩主を歴任して明治維新を迎えています。特に7代藩主土井利忠は疲弊した藩の財政や教育、軍制、殖産興業に力を入れて成功させた名君として知られ、明治15年(1882)には旧藩士が中心となり、大野城の麓に利忠を祭神とした柳廼社を創建しています。大野城は藩庁、藩主居館が設けられ、城下町は藩都として多くの家臣の消費地、物資の集積場として繁栄し、町割は大野城の麓には武家屋敷が配され、武家地の外側を町人町、そのさらに外側には寺院が集められ城下町の防衛網を築いています。明治時代以降に大きな近代化が図られなかった為、武家町には旧内山家住宅(幕末の大野藩の家老として藩財政立て直しに尽力した内山良休・隆佐兄弟を輩出)や田村又左衛門家住宅(大野市指定文化財)などの武家屋敷が残りっています。町人町も良好な町屋建築や、良質な水が豊富だった事から醸造業を営む豪商の邸宅も散見出来、特に七間通りは良好な町並みで現在でも300年間続けられている朝市(現在では全国的にも余り見られない地面に農産物や加工品を並べる形態を継承しています。)が開かれています。寺町は藩主土井家の菩提寺である善導寺(土井家累代墓所:大野市指定史跡)をはじめ有力寺院が直線的に境内を構え風情ある通りとなっています。これらの歴史的背景や、良好な町並みを保持している事から越前大野は「奥越の小京都」の異名があり、さらに、九頭竜川の伏流水が湧き水となり日本100名水に選定されている「御清水」や「本願清水」、「義景清水(越前守護、朝倉家最後の当主となった朝倉義景墓所があります)」など町のあちこちに点在しています。
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