粟田部町(越前市)概要: 粟田部は武生と池田を繋ぐ交通の要衝で多くの物資が集められた集積場として発展しました。特に江戸時代に入り福井藩(藩庁:福井城)が越前和紙を保護したことで急速に発展し、福井藩や丸岡藩(藩庁:丸岡城)の藩札や幕府御用紙、寺社の指定紙など越前和紙で製造し多くの利益をもたらしました。
粟田部町の鎮守である岡太神社は雄略天皇の御代(457〜479年)に男大迹皇子(後の継体天皇)によって創建された古社で、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された論社とされ古くから格式の高い神社として知られていました。
例祭の「莱祀祭」は奈良時代から続けられている歴史ある神事で、余り厳格で行われた事からその作法を知らない幕府領の見物客との騒動(莱祀騒動)が発生し、事態を危惧した福井藩では「莱祀祭」の際には礼服着用の警護人4人を派遣して騒動を未然に防ぐようにしました。現在では大分簡略化されましたが、それでも信仰は変わらず多くの信者が参拝に訪れています。
岡太神社の参道添いには門前町が形成され、木造2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、2階外壁り両側袖壁付の民家が両側に建ち並び、良好な町並み景観が残されています。
粟田部町:上空画像
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