佐柿町奉行所(美浜町)概要: 佐柿の地は若狭国と越前国の国境に隣接する軍事的な要衝で古くから重要視されてきました。江戸時代に成立した小浜藩でも重要視され、一国一城令で国吉城が廃城になると寛永11年(1634)には麓に佐柿町奉行所を設け周辺地域の軍事、行政、経済の中心地としました。
国吉城の城下町は廃城後も丹後街道の宿場町として発展し町外れには佐柿番所が設けられ、奉行所の敷地内には参勤交代や領内巡視で藩主が宿泊や休息で利用する御茶屋屋敷が設置、享和3年(1803)には佐柿陣屋と呼ばれるようになりました。
又、幕末には水戸天狗党の残党が小浜藩(藩庁:小浜城)の准藩士扱いとなり屋敷が与えられ佐柿陣屋周辺に設置されました。現在は遺構はありませんが石垣などが見られます。
佐柿町奉行所:上空画像
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