吉崎西別院(あわら市)概要: 西本願寺吉崎別院の創建は慶長7年(1602)、本願寺が東西2つの分派に分かれた際、吉崎でも分派し、西本願寺派(本願寺派)には大家道場が付き開基したのが始まりと伝えられています。元和年間(1615〜1624年)に吉崎御坊跡に再興計画が持ち上がると、西別院と東別院との間にどちらが旧跡に本堂を造営するかで争いが起き、福井藩(藩庁:福井城)では決着が着かなかった事から幕府に裁定を仰ぎ、結局東西共に旧跡に堂宇の建立が禁止されました。
延宝7年(1679)に吉崎山山麓に諸堂が建立され、さらに延享3年(1746)に現在地に移りました。現在の本堂は寛政9年(1797)に再建されたもので入母屋、本瓦葺、梁間11間、桁行11間、総欅造り、正面の山門(念力門)は天正19年(1591)に豊臣秀吉が西本願寺(京都)に寄進したもので、昭和24年(1949)に御下附されこの地に移されたものです。
吉崎西別院:上空画像
高麗門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-吉崎西別院
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