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あわら市概要: あわら市春宮に位置する桑野遺跡は、縄文時代早期末から前期前葉の遺跡で、?状耳飾等の石製装身具を主体とした石器、石製品85点が貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
あわら市舟津に位置する舟津貝塚は、縄文時代の貝塚で、ヤマトシジミを中心とする貝類や獣骨、魚骨、土器、石器等が発見され、貴重な事から福井県指定史跡に指定されています。
伊井遺跡は弥生時代後期から古墳時代初頭頃の遺跡で、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、菅玉、敲石、砥石、石釧、玉錐等が発見され、玉造の工房跡と推定されています。
古墳時代に入ると、多くの古墳が築かれ、中でもあわら市瓜生・中川に位置する横山古墳群は前方後円墳15基、方墳59基、円墳160基、合計234基から構成され、北陸地方最大の古墳群として福井県内の前方後円墳の約4分の1が集中しています。
中心的な存在である神奈備山古墳は、6世紀中頃に築造された横山古墳群の中で最も大きい前方後円墳で、2段築成、全長64.4m、前方部幅29m、後円部径31.8m、横穴式石室、副葬品も多数検出されています。
横山古墳群は手繰ヶ城山古墳や六呂瀬山古墳と同じ稜線にある事から越前国に存在した大首長の古墳の系譜の最終段階とも云われ、一説には継体天皇の生母である振媛の出身氏族である三尾氏との関係も示唆され、貴重な事から福井県指定史跡に指定されています。
その後、三国国に属し、越前国が立国すると坂井郡に含まれ、川口郷と堀江郷は芦原町、坪江郷は金津町に属したと思われます。
官道である北陸道が開削されると、駅家である桑原駅と三尾駅が整備され、桑原駅は旧金津町桑原、三尾駅はあわら市御簾ノ尾又は隣接する中川付近に推定されています。
神社の開創も相次ぎ、大溝神社、神明神社、春日神社、八雲神社、御前神社、井口神社は延喜式神名帳に記載された式内社、又は論社とされます。
奈良時代になると、荘園開発も進み、最初に東大寺領の荘園が成立し、平安時代末期には興福寺領の河口庄、鎌倉時代には同じく興福寺領の坪江庄が設けられています。
又、鎌倉時代初期には藤原利仁の後裔が越前国坂井郡堀江郷に入部し、地名に因み「堀江」姓を掲げると、上記の河口庄と坪江庄を版図としました。
堀江氏は文明年間(1469〜1487年)に河口庄と坪江庄の荘官を務めるなど勢力を拡大、最盛期には坂井郡一帯を支配し、本庄館(下番堀江館)や番田館を設けて拠点としました。
堀江氏は室町時代中期頃に越前国守護職となった朝倉家に従属するようになり、堀江景經の代には2千5百貫の領地を支配していました。
しかし、戦国時代の当主である堀江景忠は永禄10年(1567)に加賀一向一揆勢と内通し、朝倉氏に対し反乱を疑われた事で、朝倉義景に攻められ能登に落ち延びています。
溝江郷南金津を本拠地とした溝江氏も戦国時代に朝倉氏に仕えた国人領主で、加賀一向一揆勢との戦いでは重きを成しました。
天正元年(1573)に織田信長の越前侵攻により朝倉氏が滅ぼされると後ろ盾を失い、天正2年(1574)に加賀一向一揆勢に敗れ一時没落しています。
溝江長澄は織田信長と豊臣秀吉に仕えた事で復権し、1万石を持って金津城(溝江館)を再興しましたが、跡を継いだ溝江長晴は慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで西軍に与した事で改易となっています。
一方、室町時代には迫害を避けて、当地まで逃れてきた浄土真宗の中興の祖である蓮如上人が吉崎御坊を創建し、吉崎が浄土真宗の拠点として大いに栄えました。
蓮如上人は文明7年(1475)に吉崎を退去しましたが、吉崎には蓮如上人所縁の寺院による門前町が開かれ多くの道場が設けられました。
しかし、一向一揆の際は一揆勢の拠点の1つとなり、越前国守護職の朝倉氏と対立、多くの堂宇が焼き討ちにあっています。
吉崎御坊跡には御坊の本堂跡や蓮如上人の銅像、蓮如上人お腰掛けの石、蓮如上人お手植えの花松、本向坊了顕のお墓および本向寺支坊、見玉尼のお墓、加賀千代女の句碑などがあり、貴重な事から国指定史跡に指定されています。
江戸時代に入ると福井藩に属し、北国街道が開削されると宿場町である細呂木宿と金津宿が開宿しています。
細呂木宿は、加賀藩の藩境に隣接していた事から、近くには福井藩の金津奉行支配の細呂木関所が設けられ、人物や荷物改めが厳しく行われていました。
金津宿は福井藩から行政的に重要視され、金津奉行所の他、本陣、問屋、旅籠58軒、妓楼20余等が設けられ周辺の中心地となりました。
又、物資の集積地でもあり、金津で集められた多くの物資は竹田川の舟運によって三国湊に運ばれ、そこから京都や大坂等の大消費地に北前船で日本海を海上輸送されました。
金津宿の坂の下、六日町、八日町、十日町では市が開催され、近隣からは商品を目当てに多くの人達が集まり大変賑わったとされます。
金津橋周辺は、禁令を伝える制札場があるなど、九頭竜川以北の福井県内の北国街道の宿場町では最も大きく重要な宿場町となり、商業都市として発展しました。
明治16年(1883)に温泉の源泉が発見されると、舟津村や二面村、田中中村などで試掘が行われ、多くの源泉が当てた事から北陸地方有数の温泉郷として発展しました。
リメイク版のあわら市の動画
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