越前市(歴史)概要: 越前市は古くから越国と呼ばれ開けていた地域で、7世紀末期に発令された大宝律令によって新たに越前国が立国しその国府が設置されました。国府が置かれた事から府中と称するようになると、越前国の中心として京都との繋がりがさらに強くなり紫式部などの著名人も訪れるようになります。
中世に入り源平や南北朝の騒乱により周辺が荒廃し、次第に国府としての機能が失われ、新たに朝倉氏が守護職なると政治の中心が一乗谷に移り、府中の地には奉行所が置かれます。
織田信長の越前侵攻後は柴田勝家の支配下に入り、越前市周辺には府中三人衆と呼ばれた勝家の与力大名である前田利家が府中城に、佐々成政が小丸城に、不破光治が龍門寺城がそれぞれ与えられ、3人合わせた知行石高は10万石だったとされます。
江戸時代に入ると福井藩に属し、越前市周辺は付家老である本多富正が3万9千石(最終的は4万5千石)を与えられ明治維新まで本多家が領主を歴任します。本多家の居城である府中城は事実上の城郭でしたが一国一城令後は「お茶屋」と呼ばれるようになり、その当時の城下町や領内の整備が現在の越前市の祖となっています。
越前市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|