鞍谷御所(越前市)概要: 案内板によると「 室町末期の鞍谷氏の館(鞍谷御所址)の1部である。現在は味真野神社の境内をコの字に囲むようにして北・西・南面の土塁と、北・西面の唐掘を残している。いい伝えによれば、古代の男大迹王(継体天皇)の宮居の跡といわれ、中世になっては足利将軍義満の次男義嗣が上杉禅秀の乱(1416)に連座して殺され、その子嗣俊がこの地に住み、鞍谷氏と称し3代栄えたという。最近の説では、斯波義俊の館跡といわれる。義俊は、応仁の乱の原因にもなった斯波家家督相続争いの斯波義廉の子息で、朝倉氏によって名目上の守護として越前に迎えられ、はじめ一乗谷に存在したが文明18年(1486)にはこの地に移っている。子孫は代々鞍谷氏を称し朝倉氏と婚姻関係を結びながら居住し、朝倉氏滅亡後は小丸城を築城した佐々成政と臣従関係をむすんでいった。」とあります。
鞍谷御所:上空画像
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