越前市: 小丸城

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概要・歴史・観光・見所
小丸城(越前市)概要: 天正3年(1575)織田信長が越前を制圧すると北の庄城に北陸地方の司令長官である柴田勝家を配し、府中10万石には所謂「府中三人衆」として前田利家・佐々成政・不破光治の3人で統治させ勝家の目付の役割を担いました。佐々成政はこの地に小丸城を築き北の庄城の出城的な役割を持たせ軍事的な拠点とし、前田利家は府中城(福井県越前市府中)、不破光治は龍門寺城(福井県越前市武生本町)にそれぞれ築城又は修築拡張にして居城としています。佐々成政の明確な石高は不詳ですが小丸城を拠点とし概ね、丹生郡織田平等村、今立郡大滝村・岩本村、南条郡湯尾などを支配したようです。天正9年(1581)、織田信長が加賀、能登、越中を制圧すると佐々成政は越中領主となり富山城(富山県富山市)に入った為に小丸城は廃城となります。小丸城は野々宮廃寺を取り込んだ輪郭式平城で、東西45m、南北50m、高さ3mの本丸を中心に2の丸、3の丸が配され、2重の堀(幅10〜30m)、全体では東西300m、南北450mが城郭の範囲だったとされ、周囲には「小丸」、「北小丸」、「古城」、「御館」、「的場」、「鉄砲町」など地名が残されています。現在も小丸城の跡地には本丸など郭の形状や石垣、土塁、堀、櫓台などの遺構が比較的良好に残され、3の丸北西の乾櫓跡では昭和7年(1932)に前田利家の一揆成敗の有様を刻んだ「文字瓦」が発掘され貴重な資料とされます(瓦には「此書物、後世二御らんしられ、御物かたり可有候、然者五月廿四日いきおこり、其まゝ前田又左衛門尉殿、いき千人はかりいけとりさせられ候也、御せいはいハ、はつつけかまニいられあふられ候哉、如此候、一ふて書とゝめ候」と記され、一揆が発生し鎮座された際、前田利家が千人余を生け捕りし、磔や釜茹でにされ、この事実を後世の人に判ってもらいたいとの内容で、一揆衆の生き残りが小丸城の築城に駆り出され記したものと推定されています)。小丸城址は貴重な事から名称「小丸城跡 附 野々宮廃寺跡」として昭和31年(1956)に福井県指定史跡に指定されています。

小丸城:写真

小丸城
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