越前市: 龍泉寺

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概要・歴史・観光・見所
龍泉寺(越前市)概要: 太平山龍泉寺の創建は南朝暦元中3年、北朝暦至徳3年(1386)、藤原義晴(越前国守護職)が通幻寂霊禅師を招き開山したのが始まりと伝えられています。但し、境内からは白鳳時代の瓦や土器片、寺院の礎石などが発見されている事から深草廃寺又は越前国分寺が前身とも云われています。通幻寂霊禅師は人材育成にも尽力し特に優秀な弟子10人が「通幻十哲」と呼ばれ、その後の曹洞宗の布教に大きく影響を与え、龍泉寺も多くの高弟達が「輪番住職制」によって運営する事で寺運が隆盛します。天正年間(1573〜1593年)の一向一揆の兵火により堂宇が焼失し一時衰退しますが江戸時代に入ると、初代府中藩主本多富正が元和元年(1615)に再興し、歴代本多家の菩提寺として境内が整備され福井藩2代藩主松平忠直から寺領50石が安堵されます(3代藩主松平忠昌以降は寺領13意志を安堵)。本多家の庇護のものと再び寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び通幻派の根本道場として多くの弟子達が修行を行い、「北陸第一関」として永平寺(永平寺町)や総持寺(現在の総持寺祖院・石川県輪島市)に次ぐ格式を得ています。明治時代に入り廃藩置県と版籍奉還が執行されると本多家の庇護が受けられなくなり、白雲台(庫裏)を残して解体されました。

龍泉寺の白雲台は江戸時代後期に建てられたもので2重寄棟、桟瓦葺(元茅葺)、平入、桁行21間(38.7m)、梁間8.5間(15.3m)。山門は府中城にあった勘定奉行所の表門として建てられたもので、切妻、桟瓦葺、高麗門、間口1間、明治時代に入り七堂伽藍が解体された後に山門として移築されました。権現堂には寛永11年(1634)に本多富正が3代将軍徳川家光から許可を得て京都の七条仏師(運慶末流)に作らせた檜材、寄木造、彩色仕上げ、像高約1mの木造徳川家康像、木造徳川秀忠像、木造結城秀康像が安置され「天下の3木像」との別称があり建物も「越前東照宮」とも呼ばれています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼。

龍泉寺の文化財
・ 峨山韶碩禅師画像−室町時代−峨山禅師の最古の頂相−福井県指定文化財
・ 結城秀康・三将図-慶長12年-秀康と殉死した土屋正明・永見長次画像-市指定
・ 木造徳川家康像−寛永11年−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造徳川秀忠像−寛永11年−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造結城秀康像−寛永11年−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造通幻寂霊像−室町時代−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造峨山韶碩像−慶安2年−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造舜国洞授像−慶安2年−檜材、寄木造、彩色仕上げ−越前市指定文化財
・ 木造釈迦如来座像−鎌倉時代−檜材、寄木造−越前市指定文化財
・ 木造文殊菩薩座像−寛永16年−檜材、寄木造−越前市指定文化財
・ 木造普賢菩薩座像−寛永16年−檜材、寄木造−越前市指定文化財
・ 紙本着色涅槃像図(兆殿司筆)−南北朝時代−越前市指定文化財
・ 木造達磨大師座像−越前市指定文化財
・ 大権修利菩薩倚像−越前市指定文化財

龍泉寺写真

龍泉寺
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