大虫神社(越前市)概要: 大虫神社は福井県越前市大虫町に鎮座してる神社です。大虫神社の創建は崇神天皇7年(紀元前91年)に勧請したのが始まりと伝えられています。伝承によると丹生嶽の麓に生えていた杉の大木に悪虫が巣くい、その鳴き声によって遠く離れた都の天皇が大病を患いました。そこで、武日語命(大伴連の祖)が悪虫退散と大病平癒を大蒸大神に祈願すると念願成就した事から大蒸大神を祭る社を設けたと伝えられています。当初は丹生嶽(鬼ケ岳533m:現在は大虫神社の奥社が鎮座)に鎮座していましたが、垂仁天皇26年(紀元前4年)、国中にイナゴが大発生し当社に祈願したところ忽ちイナゴが退散し豊作になったことから、現在地に遷座し大虫神社に改称しました。以来、虫除守護の神として広く信仰され宝亀11年(780)に編纂された続日本記では従五位下に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では越前国では2社だけという名神大社に列しています。
越前守護職である斯波氏や朝倉氏(本拠:一乗谷)から庇護され、社領が2万8千石に上るなど社運は隆盛しますが天正4年(1576)に北ノ庄城(福井県福井市)の城主柴田勝家の兵火により焼失し一時衰退します。
その後、大虫神社は豊臣秀吉により再興され、天正11年(1583)に延喜式内社の小虫神社・雨夜神社・雷神社を大虫神社に合祀しています。江戸時代に入ると福井藩(藩庁:福井城)の藩主となった結城秀康をはじめ歴代藩主が庇護し、社領の寄進や社殿の改修が行われました。
大虫神社の社宝には平安時代に製作された木造男神巫像2躯を所有し、天津日高日子穂穂出見命坐像は桧材、一木造、像高、57.0cm、伝塩椎神坐像は桧材、一木造、像高、47.9cm、当時の神像の遺構で意匠的に素晴らしく保存状態も良く大変貴重な事から平成6年(1994)に国指定重要文化財に指定されています。
大虫神社の参道に架かる「宮橋」は国登録有形文化財、境内に引き込まれている「石神の湧水」は「ふくいのおいしい水」に認定されています。
大虫神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。本殿は三間社流造、銅板葺き。祭神:天津日高彦火火出見命。配祀:鵜鵜草葺不合尊、大山咋命。
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大虫神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-越前市教育委員会
・ 現地案内板-大虫神社
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