福井県:歴史・人物

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朝倉義景・高徳院・祥順院・愛王丸の墓碑
朝倉義景は朝倉家11代当主で、姉川の戦いで織田軍に敗れ滅亡に追い込まれています。
松平吉品(瑞源寺)
福井藩の5・7代藩主で石高が半減した為、様々な藩政改革を断行しています。
土井家(善導寺)
土井利勝の4男で幕閣の要職を歴任した土井利勝が藩祖、歴代土井家が大野藩主を歴任。
沼田氏(得法寺)
瓜生庄下司職や室町幕府の奉公衆を歴任、戦国時代以降は細川家家老となっています。
多田満仲(多田寺)
源経基嫡男で摂津国多田を領し、多田姓を名乗り多田源氏の祖となっています。
新田義貞(称念寺)
河内源氏義国流新田氏本宗家8代当主で倒幕で活躍。南朝の中心的な武将。
越前朝倉家(心月寺)
但馬国朝倉出身で、室町時代以降は越前国の守護職を歴任。織田家により滅ぼされた。
武田信親(栖雲寺)
若狭武田家第4代当主、若狭国守護職、足利将軍家御供衆や相伴衆などの要職を歴任。
柴田勝家(西光寺)
織田信長の重臣で北陸方面軍総司令官、秀吉に攻められ北庄城と運命を共にしています。
府中松平家(龍泉寺)
結城秀康の附家老だった本多富正が家祖で、後裔も松平家の家老、府中領の領主を歴任。
小笠原貞信(開善寺)
小笠原政信の婿養子で関宿藩、美濃高須藩を経て勝山藩に入封し領内の整備に尽力。
松平忠直(氣比神宮)
結城秀康の子供で福井藩2代藩主。幕府から敵視された事で体調を崩し強制隠居となる。
松平忠昌(永平寺)
兄である松平忠直が強制隠居を受け福井藩3代藩主に就任。半減した藩政の改革に尽力。
松平重富(運正寺)
松平重昌の末期養子で福井藩12代藩主に就任。領内に火災や水害が頻発し藩政が逼迫。
松平直良(大野城)
結城秀康の子供で木本藩を立藩。その後、勝山藩を経て大野藩に入封、長興寺を創建。
松平直基(平泉寺白山神社)
結城秀康の子供で結城姓を相続し勝山藩を立藩。勝山城や城下町、領内の整備に尽力。
松平光通(大安禅寺)
福井藩4代藩主で、松平家の菩提寺である大安禅寺を中興開山しています。
間部家(萬慶寺)
家祖である間部詮房は6代将軍徳川家宣の側近として出世を遂げたものの政争に敗北。
間部詮茂(舟津神社)
鯖江藩4代藩主で舟津神社に鳥居を寄進し、陣屋内に間部詮房を祀る受福堂を造営。
丸岡有馬家(高岳寺)
有馬清純が糸魚川藩を経て丸岡藩に入封、後裔は丸岡藩の藩主を歴任しています。
勝山小笠原家(開善寺)
信濃守護職だった家柄で、没落後は徳川家に従い復権。勝山藩主を歴任しています。
武田元光(発心寺)
若狭武田氏第7代当主で若狭国守護職。室町幕府管領細川高国方に従っています。
丸岡本多家(本光院)
本多成重は松平忠直の附家老で、忠直の強制隠居後に丸岡藩初代藩主となっています。
本多重昭(國神神社)
丸岡藩3代藩主で大坂加番などを歴任。國神神社に天国宝剣を奉納しています。
有馬直純・國姫(白道寺)
有馬直純は徳川家康の側近で、家康の曾孫である国姫を正室に迎えていました。
大谷吉継(永賞寺)
豊臣家の家臣で敦賀城の城主、関ケ原の合戦で西軍に与し自刃しています。
朝倉孝景(英林塚)
越前朝倉家7代当主で、応仁の乱では斯波氏に従い西軍に与し大功を挙げています。


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