小浜市(歴史)概要: 小浜市は古くから京都の外港として性格が強く、多くの物資が集められ、時には中国や朝鮮半島との国際港として利用されました。若狭国府も小浜市にある府中や遠敷にあったと推定され国分寺や、若狭一宮である若狭彦神社や若狭姫神社、総社である総神社などが点在しています。
京都と関係が深いことからも数多くの社寺仏閣が建立され、数多くの国宝や国指定重要文化財に指定されている寺宝や仏像などを所有しています。
中世に入ると、若狭守護が置かれ、武田氏の代には後瀬山に居城を構え城下町が形成されていきます。永禄11年(1558)に武田家が没落し、越前の朝倉氏が滅ぶと、丹羽長秀が城主となり、豊臣秀吉の時代には浅野長政、木下勝俊が領主となります。
関ヶ原の戦い後は戦功のあった京極高次が小浜に入封すると、小浜藩を立藩、新たに小浜城を築き現在の小浜市の基礎となる町割りが行われています。
小浜市:上空画像
寛永11年(1634)に2代忠高が松江藩に移封になると新たに酒井忠勝が藩主となり城下町の拡張や領土の整備を行います。
忠勝は3代将軍徳川家光と4代家綱に仕えた譜代大名で、老中や大老を歴任するなど将軍家からの信任が厚く、譜代大名としては異例の国持大名の格式を得て12万3千5百石を有するまでになりました。
酒井家は以後14代にわたり藩主として支配、幕末でも常に幕府側に立ち新政府軍と戦っています。小浜西組は明治21年の大火以降の町並みが残り重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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