後瀬山城(小浜市)概要: 後瀬山城は大永2年(1522)、当時の 若狭守護職武田元光によって築かれたのが始まりとされます。守護の居城ということで若狭国最大級の山城で標高160mの後瀬山頂上付近に本丸を設け数十に及ぶ小郭が取り囲み主用部には石垣を用い堀切や唐掘など巧みに配されています。武田家は京都の公家や皇族などにも近く、城郭内には庭園や茶室のような施設が設けられ多数の茶椀が発見されています。普段は麓の居館部分で生活や政治が行われ、100m四方に水堀を巡らしていました。
武田元明の代には衰退が激しく越前の朝倉氏に拉致されるといった事件が勃発し混乱を極め、朝倉氏滅亡後は織田信長家臣の丹羽長秀が城主となります。長秀は後瀬山城を近代的な山城に大改修し、現在見られる石垣などの遺構は長秀時代に整備されたものと推定され伝承では安土城(滋賀県近江八幡市安土町)を模した天守閣も設けられたと伝えられています。
その後は浅野長政、木下勝俊が城主となり江戸時代に入ると京極高次が小浜藩を立藩し、酒井家の時代に小浜城が完成した為、事実上廃城となります。後瀬山城は中世の山城の遺構で若狭国の守護所として歴史的にも大変貴重な事から平成9年(1997)に国指定史跡に指定されています。
後瀬山城:上空画像
|