小浜市: 多田密寺

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概要・歴史・観光・見所
多田密寺(小浜市)概要: 石照山多田寺は福井県小浜市多田に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。多田密寺多田寺の創建は天平勝宝元年(749)、多田ヶ岳で100日間厳しい修行を重ねと勝行上人が当地を霊地と悟り堂宇を建立し薬師如来像を安置したのが始まりと伝えられています。薬師如来を信仰すると病から救われるという霊験は朝廷にも聞こえ、当時、重い眼病を患っていた孝謙天皇が眼病平癒を祈願すると、忽ち快癒したことから勅願寺となり「石山医王閣」の扁額や多くの寺領が寄進されました。さらに勝行上人には仏教界の中心を成した奈良東大寺の僧に抜擢された事から「出世薬師」としても信仰の対象となり、何時しか奈良薬師寺(奈良県奈良市西ノ京町)、出雲一畑薬師(島根県出雲市小境町)と共に日本三大薬師に数えられました。

坂上田村麻呂や多田満仲、源頼光といった武将などの祈願所として庇護されたことから寺運が隆盛し、最盛期は12坊を擁する大寺となりました。特に多田満仲とは関係が深く本堂には満仲念持仏が安置され、境内には満仲の墓が建立されています。江戸時代に入ると小浜藩(藩庁:小浜城)の藩主から庇護され寛永11年(1634)には新たに小浜藩に入封した酒井忠勝が、日光東照宮(栃木県日光市)を模したとされる祭壇(厨子)を寄進しています。

現在の多田寺本堂は文化4年(1807)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間6間、正面1間向拝付、内部は幅1間の庇を廻し幅3間、奥行1間の礼堂、その奥に3間×3間の内陣、江戸時代後期の近世密教系本堂建築の遺構として貴重な事から平成15年(2003)に国登録有形文化財に登録されています。多田寺は寺宝も多く薬師如来立像(本尊)、日光十一面観音菩薩立像(脇侍:孝謙天皇を模したとも)、月光菩薩立像(脇侍)、阿弥陀如来坐像、四天王立像(持国天・増長天・広目天・多聞天)など数多くの仏像が文化財指定を受けています。北陸三十三観音霊場第四番礼所。北陸白寿三十三観音霊場第二番礼所。若狭三十三観音霊場第十八番礼所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:ただたのめ 大慈大悲の観世音 不思議の恵み たのもしきかな)。山号:石照山。宗派:高野山真言宗。本尊:薬師如来。

多田寺の文化財
・ 木造薬師如来立像−平安初期−像高192.5p−国指定重要文化財
・ 木造十一面観音菩薩立像−平安初期−像高154p−国指定重要文化財
・ 木造菩薩立像(月光菩薩)−平安初期−像高144.2p−国指定重要文化財
・ 木造阿弥陀如来坐像−平安後期−像高144.5p・91.5p−県指定文化財
・ 多田寺本堂−文化4年−国登録有形文化財
・ 木造四天王立像(4体)−奈良時代−福井県指定文化財

多田密寺:写真

多田密寺
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