栖雲寺(小浜市)概要: 萬松山栖雲寺の創建は文明15年(1482)、当時の若狭国守護職武田国信の嫡男、武田信親が潤甫周玉(建仁寺の僧:信親の甥?)を招いて開いたのが始まりとされます。
諸説あり、同寺名で応永14年(1407)に一色満範の招きで足利義満が訪れ、義満の室である北山院(日野康子)の宿所となった玉花院との間に渡り廊下を造営したとの記述があることから以前から創建されていたとも考えられるそうです。
又、潤甫周玉が信親の甥とすると弟の武田元信との年の差が3歳である事から、もし早くに子供に恵まれたとしても幼少だったと推定され、少年僧を招くとは考え難いとされます。
その為、栖雲寺は古くから創建されており、戦国時代に一時衰退し文明15年(1482)に信親が京都東山建仁寺の僧を招いて自らの菩提寺として再興したと考えられています。
信親の死亡年にも2説あり1説は文明17年(1485)享年24歳、もう1説は永正11年(1514)享年57歳、何れにもしても「栖雲寺殿」の法号が与えられ当寺に埋葬されたと云われ境内には信親にものとされる供養塔(宝篋印塔)が建立されています。
天文17年(1548)に潤甫周玉が死去すると無住になり衰微しますが、天正15年(1587)に領主となった浅野長政や慶長5年(1600)に初代小浜藩(藩庁:小浜城)も藩主となった京極高次などが寺領を安堵するなど庇護します。
慶長14年(1609)高次が死去すると正室である常高院(信長の妹お市と小谷城主浅井長政の次女)が寛永7年(1630)境内に常高寺を開いた為栖雲寺は一時廃寺となりますが、寛文2年(1662)に現在地に移り再興されています。
若狭三十三観音霊場第23番札所(札所本尊:聖観音菩薩・御詠歌:栖む龍も 雲起こすなり 法をとく しらべにかよう 峯の松風)。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦牟尼。
栖雲寺の寺宝である木造阿弥陀如来坐像は永万元年(1165)に製作したもので像高36.9cm、桧材、寄木造、彫眼金泥彩色、制作年や多数の人名が明確な事から基準像として貴重な存在で平成4年(1992)に福井県指定文化財に指定されています。
栖雲寺境内周辺は江戸時代は小浜西組と呼ばれ現在でも当時の町並みを色濃く残している事から名称「小浜西組伝統的建造物群保存地区」として平成20年(2008)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
栖雲寺:上空画像
薬医門を簡単に説明した動画
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