若狭町(歴史)概要: 若狭町は小浜市にあったとされる国府に隣接した地域で、若狭国最大級とされる上ノ塚古墳をはじめ、多くの大型古墳が点在し若狭国造である膳臣と関係が深い場所だったと思われます。
鎌倉時代に入ると若狭守護職となった惟宗忠季(後の堤氏)が堤を中心に行政を行った為、事実的に若狭国の中心となりました。堤氏(津々見氏、後の三方氏)は守護の座を追われた後も大きな影響力を持ち本拠を三方に移し、室町時代には守護職である一色氏に取り入り守護代として復権します。応永16年(1409)には長男である一色義範を守護とするなど最盛期を迎えます。
永享12年(1440)、若狭守護を巡り騒乱が起り一色氏や三方氏が武田家に敗れ、若狭町の中心的な役割が縮小します。江戸時代に入ると小浜藩に属し、小浜港が京都の外港的な役割を持った為、多くの日本海の海産物が若狭街道(鯖街道)を通して京都に運ばれるようになりました。
若狭街道の宿場町であった熊川宿は代官所や番所、御蔵など藩の施設が設けられただけでなく多くの物資が集められ大きく発展しました。
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