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越前町(歴史)概要: 越前町は旧越前町と、織田町、朝日町、宮崎村が合併して誕生した町です。
越前町上川去に位置する佐々生上川遺跡は縄文時代前期中葉以降の遺跡で?状耳飾や爪形文を施した土器などが発見され、特に?状耳飾が出土した遺跡は福井県内で4遺跡しか無く、貴重な存在です。
栃川遺跡は縄文時代中期中葉から後期前葉の遺跡で、土器や石鏃、打製石斧、磨製石斧、石皿、魔石、石匙、石錘などが大量に発見され、これらの遺物は貴重な事から名称「栃川縄文遺跡出土品」として越前町指定文化財に指定されています。
下糸生脇遺跡は縄文時代早期から平安時代にかけての遺跡で、集石遺跡や甕棺13基、屋外埋甕、大量の土器や石器が発見されています。
その他にも厨海円寺遺跡から縄文時代中期中葉の土師器が発見される等、当時から人々が住み着いていた事が窺えます。
弥生時代の目立った遺跡は少ないですが、上川去遺跡や田中遺跡から当時の遺物が発見されています。
古墳時代に入ると身分さが進み、同時に多くの人達が当地で生活したようで、厨古墳群や中古墳群、朝日杉谷古墳群、水上古墳群、栃川岡古墳、番城谷山古墳群。
さらに、天王古墳群、天王前山古墳群、横山古墳、朝日山古墳群、郡栄塚古墳、八幡山古墳群、八王子山古墳群、鳥越古墳群、八地谷古墳群、西大井古墳群があります。
特に朝日山古墳群には経ヶ塚古墳と朝日山古墳の2基の前方後円墳を中心として、観世音山支群59基、朝日山支群46基、合計130基以上で構成されています。
朝日山古墳群は福井県の中でも有数の古墳群として知られ、2基の前方後円墳は貴重な事から福井県指定史跡に指定されています。
当初は角鹿国に属していましたが、律令制下で越前国が立国すると丹生郡に属しました。
神社の開創も相次ぎ、越知神社や劔神社、雨夜神社、大洗磯崎神社、佐佐牟志神社、長岡神社、麻気神社は延喜式神名帳に記載された式内社、又はその論社とされます。
又、白山を開山した修験道の高僧として知られる泰澄大師の生誕地であり、越知山は北陸最古の修験霊場として発展し、山岳信仰の拠点の一つとして大きな影響力を持ちました。
現在でも越知山には泰澄大師が開いたとされる越知神社や、大谷寺などの史跡が点在し、貴重な事から名称「越知山山岳信仰跡」として福井県指定史跡に指定されています。
鎌倉時代に入ると有力貴族や社寺の荘園が成立しています。
建保6年(1218)には当地を所領していた高階宗泰が本家職を分国主で後鳥羽上皇の生母である七条院に寄進、さらに、安貞2年(1229)に七条院が孫で妙法院門跡の尊性法親王に譲り、尊性は円音寺を創建しています。
リメイク版の越前町の動画
高階宗泰は領家職を円音寺に寄進した結果、妙法院門跡領となる織田荘が成立、文永5年(1268)には妙法院領10か所が比叡山延暦寺に寄進され、織田荘は東塔に宛がわれています。
織田荘の荘官で、劔神社の神官職を担ったとされる織田氏が戦国大名の織田信長の祖とも云われ、応永年間(1394〜1428年)に越後国守護の斯波氏が、織田家出身の有能な男子を重用し、尾張国に派遣したとされます。
明徳4年(1393)に劔神社の神宮寺を復興するために発給された「藤原信昌・将広置文」に見られる藤原将広は尾張国守護代織田伊勢入道常松と同一人物と推定されています。
一方、鎌倉時代初期には丹生郡北部には御家人である千秋氏が地頭として赴任し長く当地を支配しました。
千秋家は尾張国造家の後裔である熱田大宮司家の一族で、源頼朝の生母、由良御前が出身だった事から、幕府の有力御家人となり丹生郡北部の糸生郷や越知山、宇治江村の地頭職に抜擢されています。
室町時代に入ると、越前国守護職となった朝倉氏の家臣である伊藤九郎兵衛が当地に配され、下糸生館や烏ヶ岳城等を拠点にしています。
戦国時代末期には朝倉義景が一族である朝倉兵庫介景綱を配しましたが、元亀4年(1573)に織田軍に降伏し織田家に転じた為、本領が安堵されています。
一向一揆衆が越前国を席捲すると景綱は一揆衆に与し、織田軍が再び越前国に侵攻すると再度、織田家に属しましたが、一揆衆徒の戦の最中に姿を消し消息不明となっています。
明和元年(1764)に松平和泉守乗佑が山形藩から西尾藩に加増移封に伴い、越前町の内、天王村、宝泉寺村、内郡村、上川去村、田中村、栃川村、八田村、江波村が西尾藩の飛地となっています。
西尾藩の飛地は越前国に分を合わせると3万7千石に及び、本領の西尾周辺より多くなった為、天王村に西尾藩の陣屋が設けられています。
松平家は乗佑、乗完、乗寛、乗全、乗秩の5代が領主を歴任し明治維新を迎えています。
明治4年(1871)に天王陣屋が廃され、野田出張所に移転が決定していましたが、同年に廃藩置県が執行された事で、新設は保留され、丹尾清左衛門家が西尾県出張所として利用されています。
旧宮崎村は陶石陶土の地下資源が豊富であることから古くから越前焼が盛んな地域で、越前町には200基を越える中世、近世の越前窯跡が確認され、貴重な事から越前町指定史跡に指定されています。
全国的に見ても中世窯は、15世紀末期頃には瀬戸焼、滑床焼、信楽焼、丹波焼、備前焼、越前焼に集約され、現在もその伝統技法が引き継がれています。
上記の6箇所の窯は「日本六古窯」とも呼ばれ、貴重な事から名称「きっと恋する六古窯〜日本生れ日本育ちのやきもの産地〜」として日本遺産に認定されています。
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