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池田町(歴史)概要: 池田町には上荒谷谷出遺跡や上荒谷塚畑遺跡、上荒谷大畑遺跡、上荒谷西之上遺跡、寺島縄手遺跡、常安王神の森遺跡、土合皿尾南勝遺跡、市姫遺跡など縄文時代の遺跡が点在し当時の人々が池田町で生活を営んでいた事が窺えます。
特に常安王神の森の遺跡では縄文時代の集落の遺構が見られ竪穴建物跡や縄文土器、石器等が発見されています。
弥生時代の遺跡としては上小畑上村遺跡、上小畑重郎村遺跡、上荒谷塚畑遺跡、上荒谷西之上遺跡、下小畑下村遺跡等が見られ、引き続き人が生活するに適した地域だった事が窺えます。
古墳時代には市姫古墳や新保丸山古墳、桝山古墳、観音堂山古墳、藪田古墳が築かれ当地にも生産性を大小で身分差が広がった事が判ります。
律令制下では越前国丹生郡に属し、平安時代初期に日野川以東の部分が今立郡として立郡しています。
神社の開創も相次ぎ、須波阿須疑神社と鵜甘神社は延喜式神名帳に記載された式内社、又はその論社とされます。
須波阿須疑神社に伝わる伝承によると小豆島の地主神である大野手比賣命が当地を開発し、池田郷の惣社として祭られるようになったと伝えられています。
因みに香川県小豆郡小豆島町には大野手比賣命を祭る阿豆枳島神社が鎮座し、小豆島町は池田町と内海町が合併した町である事から関係性が窺えます。
鵜甘神社は雄略天皇7年(463)に、後に継体天皇となる男大迹王が「足羽の水源神」として開創されたと伝わる神社で、鎌倉時代には幕府執権北条時頼が訪れたとされます。
6世紀に開創されたと伝わる日野宮神社には欽明天皇の皇子である臘嘴鳥皇子が当地で悪行を働く大狼を退治し、境内背後の山中にある巌窟に封じたと伝えられています。
この故事から日野宮神社は現在では珍しい狼信仰が盛んだった神社と知られ、以前は全ての村人が灯りを消し暗闇の中で神官が狼を封じた巌窟に赴き、供物を捧げ祝詞を挙げた「狼祭り」が開催されていました。
臘嘴鳥皇子の滞在地だったと伝わる「王神の森」には古墳時代の遺跡が確認され、そこで発見された奈良時代の遺物と思われる伯牙弾琴鏡は国指定重要美術品に指定されています。
梅田家は平維盛の流れを汲む一族で、北陸戦線で木曽義仲の軍に敗北すると当地に落ち延び土着し、その後は土豪として長く当地を開発、江戸時代には大庄屋となっています。
梅田家の屋敷には鎌倉時代末期から室町時代に作庭された池水鑑賞式林泉庭園が残されており、貴重な事から国指定名勝に指定されています。
室町時代には池田勘解由左衛門尉久時が入部し、越後国守護代甲斐氏に従いました。
リメイク版の池田町の動画
池田氏は現在の池田町山田に位置する池田氏館を本拠地として小守護代という要職を歴任しています。
文明4年(1472)に朝倉家の台頭により甲斐敏光が加賀国に落ち延びると、池田氏は足利家一門の鞍谷氏に従いましたが、池田景明の代に朝倉孝景に従ったと推定されています。
しかし、元亀3年(1572)に池田隼人助が織田信長に内通した事から朝倉義景に粛清され池田家は没落しています。
池田氏の居城だった池田氏城館の跡地には土塁や空堀などの遺構が残され、貴重な事から、池田氏の菩提寺である龍淵寺と共に池田町指定史跡に指定されています。
江戸時代に入ると町内を本拠地とする大名等が居なく、時代によっては福井藩や天領高山代官所、大坂城代土岐頼殷、鯖江藩、西尾藩等が支配しています。
又、当地は府中城下と大野城下を結ぶ街道の中間に位置している事から交通の要衝として大いに賑わっています。
江戸時代末期には水戸天狗党上洛の経路となり、上池田郷谷口村や池田郷東俣村などが宿営地として利用されています。
上池田郷谷口村に境内を構えている善徳寺には、当時の住職である観意和尚に託された天狗党の石上庄兵衛と篠田利助の髻が残され、二人の「生墓」が建立されています。
池田郷東俣村の大庄屋だった飯田彦治兵衛宅には天狗党の中心人物だった武田耕雲斎が宿泊し、家人が篤く持て成した事から、馬一頭と槍1振が贈られたと伝えられています。
明治時代以降は近代交通網の整備により優位性が失われ衰微しています。
現在は町の芸能である鵜甘神社で奉納され国指定重要無形文化財に指定されている田楽能舞や福井県指定無形民俗文化財に指定されている池田追分をはじめ数多くの能面や衣装が残り「能楽の里」として名を馳せています。
池田町は自然も豊かで、日本の滝100選に選定されている「龍又ヶ滝」や、池田町指定名勝に指定されている「おう穴群」、足羽川渓谷にかかる全長44m、高さ12mを誇る日本有数の「かずら橋」などがあります。
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