熊川宿(若狭街道):歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所
熊川宿(若狭街道・宿場町)概要: 熊川宿は福井県三方上中郡若狭町熊川に位置している若狭街道(鯖街道)の旧宿場町です。若狭街道(鯖街道)は小浜と京都を結ぶ街道で小浜の名産である鯖の塩漬けを中心に日本海の海産物を運んだ事から「鯖街道」と呼ばれてきました。京都への物流ルートは様々あり総称として鯖街道と称していたようですが、若狭街道は一般的に小浜から日笠、熊川宿、朽木宿(朽木陣屋町)を経て京都出町柳を結ぶ街道を指しています。

【 中世の熊川氏 】−若狭街道は若狭地方と近江、京都を繋ぐ重要な路として軍事的にも重要視され、室町時代には幕府の直属の奉公人である沼田氏が熊川城を築き長きに渡り支配し、戦国時代の元亀元年(1570)4月22日には織田信長による越前侵攻の際に、若狭街道を西上し熊川宿を宿営地として利用しています。現在、熊川宿で境内を構える得法寺には信長の越前攻めに従軍した徳川家康が休息の際に座ったと伝わる松が残されており「家康の腰掛の松」と呼ばれています。金ヶ崎城(福井県敦賀市)で浅井氏の裏切りを知った織田信長が京都に撤退した際には、旧城主沼田氏の一族である沼田弥太郎が信長に供奉し道案内していたとの記録(継芥記)も残っており、関係性が窺えます。

【 浅野長政の政策 】−その後、領主となった浅野長政(豊臣秀吉に従い若狭国小浜8万石の国持ち大名となった。)が本格的に若狭街道(鯖街道)を整備し、特に熊川宿が若狭国(福井県)と近江国(滋賀県)の国境に接していることから重要視し、天正17年(1589)正月に「諸役免除」の布告を行い、さらに「熊川年寄中覚」を発布、これにより周辺の農村から民衆を集めて熊川宿の発展の基礎を築きました。

【 小浜藩の政策 】−江戸時代に入っても熊川宿の重要性が失われず、慶長5年(1600)に小浜藩の藩主となった京極高次は慶長6年(1601)には「従高嶋在々熊川へ入馬之事」を発布し、藩米を運ぶ際の駄賃を細かく設定、宿場町として整備すると共に奉行所や番所、藩の御蔵などを設置、さらに北川舟運の最終遡上地でもあった為、多くの物資が集まり熊川宿から人馬で京都まで運ぶというルートが確立しました。若狭街道は幕府から認められた正式な街道では無く、参勤交代にも利用されなかった事から、熊川宿には本陣や脇本陣はありませんでしたが、経済的に大きく発展した為、問屋職が他の宿場町より多い6〜8家(菱屋清兵衛・倉見屋又兵衛・高嶋屋勘兵衛・長浜屋次左衛門・倉見屋八左衛門・米屋与兵衛・菊屋忠兵衛・大津屋伊兵衛・和泉(泉)屋仁兵衛)選定されていました。詳細は勉強不足で判りませんが、逸見家は細川氏や武田氏に従った家臣、倉見家は鎌倉時代に倉見荘の御家人、勢馬(菱屋)家は同地の草分けの存在の一族、後裔と考えられる事から中世以来の支配層が引き続き熊川宿でも実力者として小浜藩から重用されたと思われます。

【 町の構成と人口 】−熊川宿は大きく上ノ町、中ノ町、下ノ町の3町で構成され、中心部に位置した中ノ町には、小浜藩の施設である町奉行所、蔵奉行所、御蔵、荷物の取次を行った問屋、信仰の中心となった神社仏閣が境内を構えていました。上ノ町の外れは京都方面だった為、小浜藩の口留番所が設けれ、宿場の端には結界神と思われる権現神社(上ノ町)と西山稲荷神社(下ノ町)が鎮座しています。その後も熊川宿は周辺の行政、経済の中心地として発展し、江戸時代中期の享保11年(1726)に記録された「御用日記」によると家数213軒、人口1175人と、おおいに繁栄しましたが、明治時代に入り交通網が整備されと次第に衰退します。其の為、大きな近代化が成されず現在でも熊川宿には数多くの町屋が軒を連ね当時の町並みを色濃く残されました。

【 熊川宿の町並み景観の要素 】−熊川宿は平成8年(1996)に国の重要伝統的建造物群保存地区(名称:若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区)と国土交通省(建設省)による歴史国道(名称:若桜街道 熊川宿)に選定されています。又、名称「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 〜御食国若狭と鯖街道〜」の構成文化財として平成27年(2015)に日本遺産に選定されています。伝統的建造物(建築物):主屋84棟、土蔵48棟、社寺20棟、付属建物65棟、合計217棟。伝統的建造物(工作物):土塀4件、板塀1件、小祠3件、鳥居6件、かわと56件、灯篭12件、その他石造物50件、合計132件。環境物件:用水路5件、樹木6件、その他11件、合計22件。 面積(10.8ヘクタール)。

熊川宿の文化財
・ 国(文部科学大臣)の重要伝統的建造物群保存地区(面積:10.8ha)
・ 旧問屋倉見屋(荻野家住宅)−江戸後期−国指定重要文化財
・ 国土交通省(建設省)の「歴史国道」
・ 平成の名水百選−熊川宿の「前川」には「イモ車」や「かわと」などが残る
・ 国土交通省(国土庁)の「水の郷百選」
・ 財団法人古都保存財団等による「美しい日本の歴史的風土準100選」
・ 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群(御食国若狭と鯖街道)−日本遺産
・ 熊川区有文書(約130点)−熊川宿の歴史を伝える史料−福井県指定文化財
・ 白石神社祭山車綴錦見送−文政年間−福井県指定文化財
・ 旧逸見勘兵衛家住宅−江戸時代−若狭町指定文化財
・ 熊川番所−旧地に残る全国唯一の番所の遺構−若狭町指定文化財
・ 御蔵屋敷跡−小浜藩の蔵奉行所跡−若狭町指定史跡

熊川宿・町並み:写真

熊川宿:町並み 熊川宿:町並み 熊川宿:町並み 熊川宿:町並み 熊川宿:町並み
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熊川宿:宿場内・見所

逸見家住宅
旧逸見家住宅
旧逸見家住宅
旧熊川役場
旧熊川役場
旧熊川役場
問屋倉見屋
旧問屋倉見屋
旧問屋倉見屋
旧問屋菱屋
旧問屋菱屋
旧問屋菱屋
覚成寺
覚成寺
覚成寺
熊川城
熊川城
熊川城
熊川番所
熊川番所
熊川番所
権現神社
権現神社
権現神社
御蔵屋敷跡
御蔵屋敷跡
御蔵屋敷跡
御蔵道
御蔵道
御蔵道
孝子与七碑
孝子与七の碑
孝子与七の碑
松木神社
松木神社
松木神社
西山稲荷
西山稲荷
西山稲荷
子守岩
大岩(子守岩)
子守岩
得法寺
得法寺
得法寺
白石神社
白石神社
白石神社
 
白
 
 
白
 
 
白
 
 
白
 


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