宇波西神社(若狭町)概要: 宇波西神社は福井県三方上中郡若狭町気山字寺谷に境内を構えている神社です。宇波西神社の創建は大宝元年(701)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当初は若狭町日向に鎮座していましたが程なく上野谷に遷座し大同元年(806)に現在地に遷座しています。
当時、北陸地方の神社で最も格式が高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社に列し、北陸に鎮座する式内社352座の内唯一年間3度朝廷から幣帛を奉られました。
宇波西神社は歴代領主からも崇敬庇護されたことで社運も隆盛しますが建武年中(1334〜1338年)と元亀年中(1570〜1573年)の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し衰退します。
天正19年(1587)、新たに領主となった浅野長政が再興し社殿を造営、慶長14年(1609)には京極高次が大橋を寄進、歴代小浜藩(藩庁:小浜城)の藩主酒井家も崇敬庇護し社領の寄進や社殿の造営、改修を行っています。
古くから神仏習合し別当には宝泉院があたっていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社として独立し明治6年(1873)には県社に列しています。
宇波西神社の例祭には王の舞・獅子舞・田楽舞等が奉納され、古式を伝える貴重な神事として昭和37年(1962)に福井県指定無形民俗文化財に指定され、名称「宇波西神社の神事芸能」として昭和51年(1976)に国の選択無形民俗文化財に選択されています。
現在の宇波西神社社殿は江戸時代末期の嘉永4年(1851)に造営されたもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入。本殿は一間社流造、銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き、向拝懸魚、木鼻などには精緻な彫刻が施されています。祭神:彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊。ふくい歴史百景。
宇波西神社:上空画像
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