天徳寺(若狭町)概要: 宝篋山天徳寺は福井県三方上中郡若狭町に境内を構えてい高野山真言宗の寺院です。天徳寺の創建は奈良時代の養老年間(717〜724年)、泰澄大師が宝篋ケ嶽の山腹の岩窟に自ら刻んだ馬頭観音像を安置したのが始まりと伝えられています。
その後、弘法大師空海が諸堂を建立するなど境内を整備、天暦年間(947〜957年)に度々馬頭観音像が不思議な現象を起していたことから草庵を設けてこれを移し、さらに天徳元年(957)、その話を聞いた村上天皇が勅願寺とし7間4方の観音堂を中心に七堂伽藍を建立します(再興された年号が寺号の由来になっています)。
天徳寺は為政者にも帰依され正治2年(1200)には鎌倉幕府初代将軍源頼朝の菩提を祈る為、北条政子が法華堂を寄進しています。その後も寺運が隆盛し12防を擁するなど大きな影響力を持ちましたが、南北朝の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し、さらに、文禄2年(1593)の山津波によって壊滅的な打撃を受けました。
天徳寺は元和年間(1615〜1624年)に現在地に再興し、さらに文化年間(1804〜1817年)には本如上人が弘法大師の霊夢により四国八十八ケ所石仏霊場を設けています。
現在の天徳寺観音堂は明治29年(1896)の火災で焼失後の明治33年(1900)に再建されたもので、木造平屋建、宝形造、桟瓦葺、桁行5間、梁間5間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
若狭三十三観音霊場第9番札所。北陸三十三ヶ所観音霊場第6番札所。北陸三十六不動霊場第34番札所。御詠歌:貧しさの 苦しみそそぐ天徳寺 宮の清水の長き流れを。山号:宝篋山。宗派:高野山真言宗。本尊:馬頭観世音菩薩。
天徳寺の文化財
・ 銅造阿弥陀三尊像−南北朝時代−若狭町指定文化財
・ 不動明王立像−鎌倉時代−若狭町指定文化財
・ 瓜割の滝−若狭町指定名勝−名水百選
・ 本坊庭園−江戸時代(作者不明)−若狭町指定名勝
天徳寺:上空画像
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