闇見神社(若狭町)概要: 闇見神社は福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水に鎮座している神社です。闇見神社の創建は不詳ですが、伝承によると日話の嶺という山の麓の大池に大蛇が住み着き、周辺の住民に大きな厄災をもたらしていたところ、素盞嗚尊と奇稲田姫神の化身と名乗る2人の老人が現れ、見事大蛇を退治しました。
神剣で真っ二つに切られた大蛇は美濃と若狭に分かれ飛び散り、若狭の地では三十三間山(標高842m)の西麓の池に落ち、辺り一面が暗闇になった故事から祠を祭り闇見神社と呼ぶようになったと伝えられています。
ただし、主祭神がこの地の開発神である室毘古王(開化天皇の第3皇子、日子坐王の御子、弥美神社の祭神)の母親とされる沙本之大闇見戸賣命であることから闇見神社と号するようになったとも云われています。
古代、弥美郷一帯は若狭耳別一族が支配、開発したと云われている事から祖神である室毘古王の関係が深い沙本之大闇見戸賣命が祀られたとも考えられます。
闇見神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳にも式内社、若狭国神明帳には「正五位闇見明神」として記載された古社で、歴代領主からも崇敬庇護され現在の鳥居などが小浜藩(藩庁:小浜城)の藩主酒井家から奉納されています(現在の鳥居は酒井忠勝が奉納したものです)。
延喜式神名帳に式内社と記されている闇見神社
闇見神社は後年、菅原道真の分霊を合祀したことで江戸時代は天神や闇見の天神さんと呼ばれ学問の神、倉見庄の鎮守として周辺住民から信仰され、弘化3年(1846)に火事により社殿が焼失すると安政4年(1857)に再建されています。
闇見神社は明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治2年(1869)に郷社に列し、明治42年(1909)に周辺の神社(諏訪神社・愛宕神社・住吉神社・日吉神社・加茂神社・熊野神社)を合祀しています。
毎年4月5日に行われた例祭(闇見神社例祭神事)は古式を引き継いだ独特なもので昭和37年(1962)に福井県指定無形民俗文化財に指定されています。
又、平成27年(2015)に小浜と京都を結んだ鯖街道(若狭街道)が日本遺産「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 〜御食国若狭と鯖街道〜」に選定されると、「闇見神社例祭神事」はその構成遺産の一つ「若狭の応の舞群」に選定されています。
闇見神社拝殿は大正3年(1914)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行3間、外壁は柱のみの吹き放し(欄間部は真壁造り白漆喰仕上げ)。本殿は江戸時代後期の安政4年(1857)に再建されたもので、一間社流造、銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き。祭神は沙本之大闇見戸賣命。配神は菅原道眞、天照大神。
闇見神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板(由緒)-闇見神社
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