勝山市・歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所

勝山市(歴史)概要: 勝山市は全国でも有数の化石の産地でカツヤマリュウやフクイリュウなど新たに発見され命名された恐竜も数多く存在します。

勝山市猪野口に位置する猪野口南幅遺跡からは、旧石器時代のナイフ形石器が発見され、当時から人々が生活していた痕跡が見られます。

勝山市遅羽町ウ崎に位置する三室遺跡は縄文時代中期後半から後期前葉の遺跡で、当時の竪穴住居跡4棟や福井県内では極めて珍しい配石遺構群が発見されておろ貴重な存在です。

弥生時代になると鹿谷町発坂や北郷町森川周辺の段丘上に集落が形成され、当時の織機等の遺物が発見されています。

古墳時代になると身分差が明確となり、当地でも目立った大型古墳は見られないものの、発坂山上古墳や発坂1号墳、発坂2号墳、前山古墳、城山古墳等が築造されています。

律令制下では越前国大野郡に属し、5つある郷の内「尾屋」は「毛屋」の誤りで、長岡京の跡地で発見された木簡に記された「大野郡毛〇」は勝山市の下毛屋・猪野毛屋に推定されています。

又、承平年間(931〜938年)に制作された墨書土器には「毛屋口」と記されており、こちらは猪野毛屋付近を指すと思われています。

養老元年(717)、修験道の高僧である泰澄大師が白山を開山すると、同年、越前国側の登拝口となる当地に白山神を勧請し白山神社を創建、さらにその別当寺として平泉寺が開創されています。

白山信仰が広がると、別当寺院である平泉寺は飛躍的に勢力を拡大し、最盛期には末社48社、36堂、6千坊、僧兵8千人、寺領9万石を擁する大寺院となっています。

越前国内の白山信仰の中心になった事から周囲に門前町が設けられ大きく繁栄すると周辺の大名からも一目置かれる存在となっています。

当地で行われた源平合戦や南北朝の動乱でも平泉寺は大きな影響力を行使しています。

浄土真宗の信仰が広がると、平泉寺の僧兵と一向一揆衆との対立が激しくなり、度々激しい争いが繰り広げられています。

平泉寺は越前守護職の朝倉家と関係を結んで対抗しますが、朝倉家は天正元年(1573)に織田信長に攻められ滅亡しています。

これにより勢いを増した一向一揆衆が天正2年(1574)に平泉寺を全山焼き討ちにした為、境内が荒廃し衰微しました。

越前地方が織田信長の支配下に入ると、織田家重臣である柴田勝家が北陸方面の軍事司令官として北の庄城に入り、勝家は甥である柴田義宣を勝山に配しています。

義宣は一揆衆の掃討を命じられたものの、その戦いの最中、天正5年(1577)に討死、跡を継いだ養子の柴田勝安が平定を完遂しています。

勝安は一揆衆の拠点だった村岡山城を居城にしましたが、天正8年(1580)に勝山城を築き、本城を遷すと城下町を整備するなど現在の勝山市の礎となりました。

天正11年(1583)に発生した賤ヶ岳の戦で勝安は討死、柴田勝家も豊臣秀吉によって滅ぼされ、越前には秀吉に従った丹羽長秀が配され、勝山には家臣である成田重政が配されています。

天正13年(1585)に丹羽長重が123万石を相続したものの、家臣の不手際等により若狭国15万石に減じられ事で、成田家も当地を離れ、代わって秀吉に従った長谷川秀一が入部しています。

江戸時代に入ると結城秀康が越前国守となり、勝山には代官所が設けられ家臣である林長門が9千840石で配されています。

リメイク版の勝山市の動画

元和9年(1623)に福井藩主松平忠直が強制隠居させられると藩領が一族や重臣等で分割され、勝山領には寛永元年(1624)に結城秀康の五男である松平直基が3万石で入部し勝山藩を立藩しています。

寛永11年(1635)に直基が越前大野藩に移封になると、寛永12年(1636)に結城秀康の6男である松平直良が3万5千石で入部しています。

寛永21年(1644)に直良が越前大野藩に移封になると、一時天領になり、旧勝山藩領は福井藩が預かる形となった為、勝山には代官陣屋が設けられています。

元禄5年(1692)に小笠原貞信が2万3千石で入部、その後は藩主が安定し明治維新まで小笠原家が藩主を歴任しています。

小笠原家は2代藩主信辰が大坂加番や公家接待の饗応役、3代藩主信成が大坂加番、4代藩主信胤が大坂加番、7代藩主長貴は奏者番や若年寄、8代藩主長守は大坂加番などの要職を担った為、出費が嵩んでいます。

さらに、城下では延享3年(1746)、安永10年(1781)、寛政11年(1799)、文政5年(1822)、天保12年(1841)と大きな火災があり、多くの建物が焼失しています。

重ねて、享保11年(1726)、寛政元年(1789)、文化12年(1815)、文政8年(1825)、万延元年(1860)には洪水が発生し大きな被害を受けました。

又、勝山城の築城や修築、江戸藩邸の再建、天保の飢饉などの天災も頻発し、財政は逼迫しています。

長守の代の家老である林毛川は藩政改革を断行し、質素倹約、人材育成、産物奨励、藩校・成器堂の開校、軍備増強、専売制の確立などを行い成果を挙げています。

戊辰戦争の際には新政府軍に与し、京都周辺の警備を担当した事から、勝利後は藩の存続が許され、明治2年(1869)に施行された版籍奉還により長守は知藩事に就任しています。

明治4年(1871)に施行された廃藩置県により勝山藩は廃藩、改めて勝山県が立県しましたが、同年に福井県に併合されています。

又、福井城の城下町と勝山城の城下町を結ぶ勝山街道の宿場町でもあり、白山信仰が盛んになると多くの人々が往来しました。

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