勝山市(歴史)概要: 勝山市は全国でも有数の化石の産地でカツヤマリュウやフクイリュウなど新たにに発見され命名された恐竜も数多く存在します。養老元年(717)、泰澄大師が白山神社を勧請時に別当寺として平泉寺(現在の平泉寺白山神社)を創建すると、越前側の信仰の中心として繁栄を極め、最盛期には48社、36堂、6千坊、僧兵8千人、寺領(社領)9万石を有する一大勢力となり周囲に門前町が設けられ大きく繁栄したそうです。
中世に入ると、周辺の領主や他教である一向宗とも対立を深めたことで度々騒乱に巻き込まれ、天正元年(1573)に一向宗の一揆勢が境内を占拠し多くの堂宇が焼き討ちにあっています。
当時は越前守護職となった朝倉氏から支配されていましたが、天正元年(1573)、織田信長の越前侵攻により朝倉氏が滅ぶと、信長の家臣である柴田勝家が配され勝山市周辺には一族の柴田勝安が与えられます。勝安は勝山城を築き、城下町を整備するなど現在の勝山市の礎となりました。
江戸時代に入ると当初は福井藩に属し、勝山には代官所が設けられましたが、寛永元年(1624)、松平直基(結城秀康の5男)が3万石で勝山藩を立藩しています。
その後、一時天領となり元禄4年(1692)に小笠原貞信が2万2千石で入封すると、藩主が安定し明治維新まで小笠原家が藩主を歴任しています。又、福井城の城下町とを結ぶ勝山街道の宿場町でもあり、白山信仰が盛んになると多くの人々が往来しました。
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