坂井市(歴史)概要: 坂井市は福井県の中でも早くから開けた地域で数多くの縄文遺跡が点在しています。六呂瀬山古墳群の1号墳は(全長約147m:前方後円墳)北陸最大級の規模され当時から大きな勢力をもった豪族が存在していたと思われます。
平安時代に入ると中央の荘園が成立し、中でも興福寺別院大乗院の荘園の中にあった三国湊は物資の集積場として発展し、室町時代に編纂された日本最古の海洋法規集である「廻船式目」に記された日本の主要港である三津七湊に数えられました。
織田信長の越前侵攻後は柴田勝家が領主となり丸岡城には甥の勝豊を配し現存する日本最古級の天守閣を築きました。
江戸時代に入ると福井藩主結城秀康の重臣今村盛次が2万5千石で配されましたが、慶長16年(1611)に流罪となり、代わって慶長18年(1613)に本多成重が4万石で領主となり、寛永元年(1624)に改めて大名の格式を得て丸岡藩を立藩します。
4代重益の代に内紛が起り、藩主の素行の悪さもあり元禄8年(1695)に改易、代わって糸魚川陣屋(新潟県糸魚川市)の有馬晴信が5万石で入封し、以後、歴代有馬家が藩主を歴任し明治維新を迎えます。その間、三国湊は福井藩と丸岡藩の外港として多くの物資が集められ商業都市として大きく発展しました。
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