白道寺(坂井市)概要: 二岸山月光院白道寺の創建は慶長18年(1613)、肥前日野江藩主有馬直純が幡随意白道上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。有馬直純は徳川家康の側近として信任が篤かったもののキリシタン大名で、さらには父親である有馬晴信が慶長17年(1612)に岡本大八事件に連座し打首(キリシタンだった為、切腹を拒否したとも)となり窮地に追い込まれました。特に慶長15年(1610)に家康の養女である国姫を正室として迎えている事もあり、家康の顔を潰す事は許されずキリスト教から浄土宗に改宗し家康が帰依していた幡随意白道上人を招いて菩提寺とする事で忠誠を示しました。国姫(日向御前)は家康の嫡男松平信康の次女である熊姫を生母、徳川家の重臣本多忠政(桑名藩藩主)の次女である事から家康からみると曾孫にあたり、行く末を危惧されこのような措置になったと思われます。
そのような背景から直純は領内でもキリシタン弾圧を強行した為、藩政に行き詰まり慶長19年(1614)には幕府に転封を願い出て日向延岡藩に移封となり白道寺も随行しています。寛永18年(1641)に直純が死去すると戒名「月光院殿金吾身誉崇出大居士」に因み二岸山月光院白道寺に寺号を改めています。
清純の代に一揆が起こりその責任を取る形で元禄5年(1692)に糸魚川藩に移封になり、さらに元禄8年(1695)に丸岡藩に移封になり白道寺もその都度随行しています。
丸岡城の城下町に移ってきた当初は前の藩主本多家の菩提寺である本光院があった為、本光院を別地に移設し新たに堂宇を造営しています。
丸岡藩時代以降、有馬家の菩提寺は高岳寺や江戸上野の本覚寺とされ藩主の墓碑はそれらの境内に建立されましたが、それには白道寺に供養塔が建立されている国姫(日向御前)が家康の曾孫だったことから遠慮したとも言われています。山号:二岸山。院号:月光院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
白道寺:上空画像
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