高岳寺(坂井市)概要: 日曜山高岳寺の創建は明暦元年(1655年)、延岡藩 2代藩主有馬康純が金剛寿院晃海僧正(比叡山天海慈眼大師の高弟)を招いて現在の宮崎県延岡市北小路に開いたのが始まりとされます。先代有馬直純の菩提寺は白道寺でしたが、同じく正室で徳川家康の曾孫である国姫も埋葬されている為、遠慮して新たな菩提寺が必要になったと思われます。元禄5年(1692)に康純が隠居先である三瀬で死去すると荼毘に付され高岳寺で葬儀が行われ境内に遺骨が埋葬されています。3代藩主清純の代に山陰・坪谷村一揆が起こりその責任を取る形で元禄5年(1692)に糸魚川藩に移封になり、さらに元禄8年(1695)に丸岡藩(藩庁:丸岡城)に移封になり高岳寺もその都度随行しています。
丸岡時代に丸岡城から南東外れにある現在地に境内が定められ寺領200石が安堵されるなど庇護され寺運も隆盛しています。福井大震災で多くの堂宇が大破し不動堂と歴代藩主の墓碑だけが当時の姿を留めています。
元々は丸岡藩初代藩主清純と2代一純、3代孝純と延岡時代の直純、康純などの墓碑しかありませんでしたが、明治43年(1910)に延岡から殉死者13人の墓を、大正5年(1916)に江戸の菩提寺であった本覚寺から4代允純、5代誉純、6代徳純、7代温純などの墓碑が移され昭和49年(1974)に「有馬家歴代墓所」として坂井市指定史跡に指定されています。
北陸三十六不動霊場第三十番札所(札所本尊:不動明王・伝:天台座主第五世智証大師円珍作)。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来(伝:恵心僧都作)。
高岳寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 日本の城下町6北陸-出版元:ぎょうせい
・ 現地案内板
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