丸岡有馬家:概要

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概要・歴史・観光・見所
丸岡有馬家(高岳寺)

【 概 要 】−元禄8年(1695)、有馬清純が糸魚川藩(新潟県糸魚川市)から5万石で丸岡藩(福井県坂井市・藩庁:丸岡城)に入封し初代藩主に就任、元禄15年(1702)死去、享年59歳、戒名「華岳院殿清山宗純大居士」。2代有馬一準は幕府に忠勤し正徳元年(1711)に譜代大名に復帰、有馬家の祖とも言える有馬直純は徳川家康の側近で、曾孫である国姫を正室として迎えるなど信任されていましたが先代清純は悪政を行った事で一揆が頻発し無城大名に格下げになっていました。一準は良政を行ったものの天災が頻発したことで農村部が困窮し一揆が発生、藩政改革を行っています。宝暦7年(1575)死去、享年61歳「常泰院殿性山宗住大居士」。

3代有馬孝純は先代に引き続き藩政改革を行い竹田山銅山を開発、宝暦7年(1757)に死去、享年41歳、戒名「豊雇院殿真巌宗修大居士」。4代有馬允純も藩政改革に尽力し明暦9年(1772)に死去、享年26歳。5代有馬誉純は名君とされ財政を安定させる為に「郷会所」の設置、文化元年(1804)には藩校平章館を開校、「国乗遺聞」や「藤原有馬世譜」などの編纂を行い、幕政では奏者番、寺社奉行、若年寄などを歴任しています。天保7年(1836)死去、享年68歳、戒名「無暦庵殿玄空誉純大居士」。

6代有馬徳純は天保8年(1837)死去、享年34年、戒名「勇譲院殿咸説宗教大居士」。7代有馬温純は戸田純祐の長男として生まれ徳純の娘幸姫の婿養子として丸岡藩主に就任、江戸時代末期に幕命により海岸防衛の砲台を建設しています。安政2年(1855)死去、享年27歳、戒名「欽崇院殿建中宗祐大居士」。8代有馬道純は本多忠鄰の3男として生まれ温純の娘珠姫の婿養子として丸岡藩主に就任、幕政では寺社奉行、奏者番、若年寄、老中などの要職を歴任、戊辰戦争の際には新政府軍に恭順しています。

高岳寺(坂井市)は有馬康純(延岡藩2代藩主)が金剛寿院晃海僧正(比叡山天海慈眼大師の高弟)を招いて創建した有馬家歴代の菩提寺で、有馬家が領地を移転する毎に随行しています。当初は領内菩提寺として延岡藩以前の当主と、丸岡の地で死去した当主などが葬られていました、近年東京などか改葬され歴代藩主の墓碑が高岳寺境内に移されています。

丸岡城:写真
有馬家と縁がある丸岡城 有馬家と縁がある丸岡城 有馬家と縁がある丸岡城 有馬家と縁がある丸岡城
丸岡藩砲台跡:写真
有馬家と縁がある丸岡藩砲台跡 有馬家と縁がある丸岡藩砲台跡 有馬家と縁がある丸岡藩砲台跡 有馬家と縁がある丸岡藩砲台跡



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