間部詮茂:概要

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間部詮茂(舟津神社)

【 概 要 】−間部詮茂は元文4年(1739)に鯖江藩2代藩主間部詮方と足立氏の娘との子供として生まれました。明和8年(1771)、3代藩主で兄でもある間部詮央が死去すると嗣子が居なかった為、養子として鯖江藩4代藩主に就任しています。安永元年(1772)に第10代将軍徳川家治に御目見し、同年、従五位下・下総守に叙任しています。

安永3年(1773)、詮茂は鯖江藩に帰国すると領内巡視を行い、度重なる凶作の為に農山村は荒廃し領民が葛根を食して飢えを凌いでる惨状を目の当たりにしています。同時に領内社寺の保護を行い、同年5月には大野郡内に境内を構えてる光徳寺に対して朱印状が発布されています。

安永3年(1773)には間部家歴代の祈願所である舟津神社に鳥居を寄進、鯖江藩作事頭竹内次郎兵衛が棟梁として制作に携わり、完成2日後には詮茂も見学、この鳥居に工事が必要な場合は鯖江藩寺社奉行の許可が必要だったとされます。天明4年(1784)、詮茂は鯖江陣屋の一角に藩祖間部詮房を祀る受福堂を造営、受福堂は後に明治16年(1883)に遷され松阜神社となっています。天明の大飢饉で多くの犠牲者を出すと詮茂は借財を行い飢えた人々に米や稗代200両を下付しています。天明6年(1786)6月7日江戸小山邸にて死去。享年48歳。菩提は浅草九品寺に埋葬されています(現在の墓碑は多磨霊園に設けられています)。

舟津神社:写真
間部詮茂と縁がある舟津神社参道石畳みから見た本殿正面 間部詮茂と縁がある舟津神社本殿と正面に建立された石造狛犬 間部詮茂と縁がある舟津神社境内に設けられている神楽殿 間部詮茂と縁がある舟津神社の神輿(鯖江市指定有形文化財)が収蔵されている神輿舎
松阜神社:写真
間部詮茂と縁がある松阜神社境内正面に設けられた石鳥居と玉垣と石燈篭 間部詮茂と縁がある松阜神社参道石畳みから見た拝殿正面と石造狛犬 間部詮茂と縁がある松阜神社社殿全景の左斜め前方 間部詮茂と縁がある松阜神社本殿と幣殿



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