坂井市: 三國神社

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概要・歴史・観光・見所
三國神社(坂井市)概要: 三國神社は福井県坂井市三国町山王6丁目に鎮座している神社です。三国は男大迹天皇(継体天皇)によって開発された土地であった事から、継体天皇が崩御すると三国山の山頂に分霊を勧請したのが三國神社の始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社三國神社の論社とされ当時は広く信仰されていたと思われます。中世に入る頃に兵乱などで衰退していましたが、天文9年(1540)、三国の住民である板津清兵衛が高柳村から兵庫川を伝って流れ出たとされる御神体(大山咋命)を拾い上げ隣接する正智院に奉納したことを機に天文13年(1544)に境内に小祠を建立、永禄7年(1564)に山王宮を建立しました。

この頃になると山王権現と呼ばれるようになり天保10年(1639)に桜谷山の東方を開発しそこに遷座しました。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治8年(1875)に県社に列し、明治41年(1908)に神饌幣串料供進の神社に指定されています。明治3年(1870)に旧社号とされる三國神社に改称しようとしましたが式内社三國神社の明確な確証が得られなかった事から福井藩からの許可が降りず桜谷神社に改称、明治18年(1885)に改めて三國神社の改称が許可されます。

現在の三國神社本殿は江戸時代末期に名工、志摩乗時、島雪斎らによって建てられたもので本殿向拝の群猿像及び奉納神馬像が昭和46年(1971)に坂井市指定文化財に指定されています。随神門(附:元治二年正月雑・慶応元年五月御門普請中雑記・慶応四年雑記)は明治3年(1870)に建立されたもので入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、桁行3間(8.18m)、梁間2間(4.62m)、軒高12.41m、福井県内最大級の楼門建築の遺構として貴重な存在で平成19年(2007)に福井県指定文化財に指定されています。

三國神社の社宝である太刀は南北朝時代に製作されたものと推定されるもので明治7年(1874)に福井藩最後の藩主松平春嶽(慶永)が奉納したものです。紙本墨書木立神社立願文は松平春嶽自らが祭神である木立神社に奉納したもので太刀と共に昭和32年(1957)に福井県指定文化財に指定されています。例祭である三國祭は御車祭(富山県高岡市)、青柏祭(石川県七尾市)と共に北陸三大祭の一つに数えられ平成18年に(2006)福井県指定無形民族文化財に指定されています。祭神は大山咋命、継体天皇。配神は雷神。

三國神社:写真

三國神社境内正面に設けられた銅製鳥居と石造社号標と銅製燈篭
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三國神社参道石段から見上げた神門(随身門・楼門) 三國神社神門(随身門・楼門)から見た境内 三國神社神門(随身門・楼門)に祭られている随身像 三國神社神門(随身門・楼門)に祭られている随身像
三國神社参道石畳みから見た拝殿正面と石造狛犬 三國神社拝殿向拝に施された彫刻群 三國神社本殿と幣殿 三國神社境内に設けられた神馬堂


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