高浜町(歴史)概要: 古くから丹後国の国境に接する軍事的要衝で、中世は若狭守護職武田氏の重臣である逸見氏が支配しました。戦国時代に入ると逸見氏は半独立し丹後の松永氏と組み度々主家である武田氏に反旗を翻しています。
永禄8年(1565)には高浜城を築き武田氏と対立、さらに元亀元年(1570)には織田信長と誼を通じ越前侵攻に随行しています。
その後、逸見氏は若狭最大の勢力を持ちますが天正9年(1581)に当主逸見昌経が死去すると急速に衰退し旧領は溝口秀勝と武田元明が引き継ぎさらに山内一豊、木下利房が高浜城主となり周辺を支配します。
木下利房は豊臣秀吉の甥に当る人物で2万石を有していましたが、関ヶ原の戦いで西軍に組した為改易となり、代わって京極高次が小浜藩主となり高浜城には家臣である佐々義勝を配します。
寛永11年(1634)に酒井忠勝が入封すると高浜城は廃城となり、跡地には大飯郡の御蔵が置かれ、和田には代官所が設置されました。又、丹後街道の宿場町でもあり、街道沿いには伝統的な町屋建築が軒を連ね、当時の雰囲気が残されています。
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