鯖江市・歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所

鯖江市(歴史)概要: 鯖江市は縄文時代から人々が住み始め、下新庄遺跡が縄文時代中期の代表的な遺跡として見られます。

弥生時代になると、身分の違いが見られるようになり、王山古墳群では弥生時代中期から古墳時代中期にかけて49基の墳墓が確認され、方形周溝墓や方墳、円墳の形式が見られ、様々な副葬品が発見され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

兜山古墳は5世紀頃に築造された北陸地方最大級の円墳で、直径約70m、高さ約7m、幅約17mの周溝、墓域直径約90m、二段築成、保存状態が良好で、当地方にも勢力の大きい豪族が存在していた事が窺える遺構として貴重な事から国指定史跡に指定されています。

その他にも、1世紀末〜5世紀末に築造され、合計80基にも及ぶ古墳で構成されている今北山古墳群・磯部古墳群・弁財天古墳群が鯖江市指定史跡に指定されています。

地名の「鯖江」の由来は、伝承によると四道将軍の一人大毘古命が当地まで進軍した際、深江辺りで豪族の激しい抵抗にあい苦戦を強いられました。

すると、深江郷の頭目で阿伊奴彦を名乗る老人が出現し、大毘古命を敵方の陣形を見わたせる王山に導きました。

大毘古命は王山に堅固な陣を敷き、反撃に転じると相手の動きが手に取るように判った為、的確な指示が出せ、見事勝利する事が出来たと伝えられています。

その合戦の際、「虚空から佐婆矢が落下し、敵の首領に当たって倒した」との伝説から「佐婆矢」が転じて「鯖江」になったとも云われています。

律令制度下では条里制が敷かれ、鯖江市中野町付近では現在でも当時の条里制で行われた地割が残されており貴重な存在となっています。

奈良時代に入ると文化の流入も活発化し、北陸地方の山岳寺院としては最初期に三峯寺が開創され、戦国時代の一向一揆衆に滅ぼされるまで、長く信仰の対象となっていました。

資料が少なく詳細は判りませんが、伊多伎夜神社と石田神社、大山御板神社、丹津神社、加多志波神社、石部神社、敷山神社、刀那神社は延喜式神名帳に記載された式内社、又はその論社とされます。

鎌倉時代初期に親鸞聖人が越後国に護送された際、当地の豪族だった波多野景之が自らの別荘に招き、教えを受け、その別荘が浄土真宗の念仏道場として布教に大きな存在になりました。

その後、複数の真宗寺院が開創され、特に誠照寺は大きく信仰を集め、その門前町が後の鯖江市街地の基となっています。

南北朝時代には双方の勢力が激突し、三峯城には南朝方に転じた平泉寺白山神社の僧兵が、南朝方の有力武将脇屋義助を迎え入れ籠城戦を展開し、同じく南朝方の河島蔵人維頼は川島城を築いて脇屋義助を支援しています。

室町時代に入ると朝倉家の領地となり、戦国時代には10代当主朝倉孝景の弟である朝倉景紀が川島城の城主として当地に赴任したとも云われています。

戦国時代には一向一揆衆が台頭し、和讃門徒派の鯖江本山誠照寺が本願寺派の衆徒によって焼き討ちとなり大きな被害を受けています。

織田信長の越前侵攻により、天正元年(1573)に越前国守護職の朝倉氏が滅びると、北ノ庄城には北陸地方の司令官に就任した柴田勝家が配されています。

リメイク版の鯖江市の動画

誠照寺は柴田勝家の後ろ盾を得て本願寺派の掃討に成功しましたが、天正11年(1583)に豊臣秀吉との政争に敗れ勝家は自刃に追い込まれています。

これにより、勝家方に協力していた誠照寺は秀吉から敵視され、粛清されています。

江戸時代に入ると鯖江市内は天領、福井藩領、小浜藩領に分割支配となりましたが、正保2年(1645)には福井藩3代藩主松平忠昌の5男である松平昌明が本藩から2万5千石が分与され吉江藩を立藩しています。

慶安元年(1648)に吉江陣屋が設けられると、周囲は陣屋町として整備され、江戸時代に活躍した文学者近松門左衛門などを排出しています。

しかし、延宝2年(1674)に兄で福井藩4代藩主だった松平光通が死去すると、遺言により昌明が福井松平家の家督を継ぎ、福井藩主を就任する事になった為、吉江藩は廃藩、陣屋も廃されています。

享保5年(1720)に間部詮言が村上藩(新潟県村上市)から5万石で入封し鯖江藩を立藩しています。

間部家は先代が政争に敗れた事で懲罰的な移封だった事から表高こそ同石ですが、実石では遥かに及ばず、さらに、城主格も剥奪された為、藩庁も旧代官所を再利用した陣屋が構えられました。

以来、藩主は間部家が世襲し陣屋町の整備や領内の開発などを行い現在の鯖江市の礎を築きました。

又、陣屋町には北国街道を引き込んだ為、宿場町である鯖江宿が開宿、多くの旅人や荷物の往来がありました。

天保11年(1840)に7代藩主間部詮勝が老中に昇格した事で城主格となり、築城計画が成されましたが、天保の大飢饉など不運が重なり実行には至りませんでした。

詮勝は幕閣として外交問題や公武合体等で功績を挙げたものの政敵も多く、文久2年(1862)には隠居謹慎が命じられ、1万石が減じられ4万石となっています。

元治元年(1864)に水戸天狗党が上洛を目指した際、福井藩と共に、天狗党撲滅に尽力し領内の侵入を防ぎ、敦賀方面に向かった天狗党を追撃しています。

慶応3年(1868)に発生した江戸薩摩藩邸の焼討事件には庄内藩、上山藩、岩槻藩、出羽松山藩と共に参加したものの、戊辰戦争の際には新政府軍に恭順しています。

明治4年(1871)に施行された廃藩置県により鯖江藩は廃藩となり、鯖江県が立県したものの、同年には福井県と敦賀県に分割併合されています。

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