熊川城

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概要・歴史・観光・見所

熊川城(若狭町)概要: 案内板によると「 関東沼田家の一族であった沼田勘解由の山城がこの山上百メートル先にある。沼田氏は足利時代からこの地に居住した土豪であった。城は天正12年(1583年)廃城となった。主郭を配した山城で、延長約百メートル余り、櫓址、空掘等の遺構が今も残る。」とあります。

沼田氏は室町幕府の直属の奉公人として長くこの地を支配してきましたが永禄12年(1562)、当時の当主沼田統兼が若狭守護職武田家の被官松宮玄蕃に敗れた事で京都に逃れています。沼田氏の熊川城時代の菩提寺は得法寺と思われ境内には沼田氏の供養塔(五重の層塔)が建立されています。

その後、沼田氏は細川興元を頼り、客将の後に家老となり代々細川家に仕えています。一方、同族と思われる沼田面松斎は津軽氏に仕えたとされ軍師や弘前城(青森県弘前市)の築城に大きく関わったそうで誓願寺(青森県弘前市)には墓碑が残されています。又、元亀元年(1570)の織田信長による越前侵攻の際には熊川城を宿所として利用しています。城の麓には白石神社が鎮座し、境内から登城口が延びています。

熊川城:上空画像


熊川城:ストリートビュー

熊川城:写真

熊川城
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